第2回 インクルーシブな教育を受ける権利

第2回 インクルーシブな教育を受ける権利
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 2022年4月27日、文部科学省は「特別支援学級に在籍する児童生徒が、原則として週の授業時数の半分以上を支援学級で受けること」を求める「4.27通知」を発出した。これに対して大阪弁護士会は、24年3月22日付けで「4.27通知の内容はインクルーシブ教育を受ける権利を侵害するものである」という認識に立ち、通知を撤回するよう勧告した。大阪弁護士会の人権擁護委員会は、地域の学校に通う障害児とその保護者からの人権救済の申し立てを受けて、文科省の通知を「人権侵害」の恐れがあると認めたのである。

 イタリアの教育は、初めて統合教育の導入に言及した1971年の法律第118号、統合教育制度の基本的な方針を示した75年のファルクッチ委員会報告書、そして後に「革命的」と評されることになる77年の法律第517号などによって、「分離教育」から「統合教育」へ、そして来るべき将来の「インクルーシブ教育」へと大きく方向を転換させた。法律第517号によって確認されたのは、まさしく大阪弁護士会が述べたように「障害児にとって、インクルーシブな教育を受けることは権利である」ということだった。この考え方は、イタリアの障害児を巡る教育の根幹にある認識であり、今やイタリア社会全体に広く定着していると言える。

 1968~69年を頂点として、イタリアでは既存の秩序に対して異議申し立てを行う社会運動や労働運動が高まりを見せた。一連の運動は社会のあらゆる領域に波及し、社会全体の変革を求める大きなうねりとなった。こうした社会状況を背景にして、1970年代に入ると労働、家族、精神保健、教育といった諸分野で、新たな時代を切り開く制度改革が次々と実現していった。そして、この時代に断行されたのが、障害児を巡る教育における「分離教育」から「統合教育」への転換だった。隣接領域である精神保健の分野を見ると、イタリアでは1978年のバザーリア法を契機として精神病院の廃止が進められたが、社会から分離された排除的な施設から精神障害者や知的障害者といった社会的弱者を解放し、基本的な人権を回復しようとする「脱施設化=脱制度化」の運動の原理は、統合教育の推進運動においても共有されていった。

 イタリアがインクルーシブな教育へと方向を転換した原点には、障害児にとっての「インクルーシブな教育を受ける権利の回復」があった。このことは、日本におけるインクルーシブ教育の推進の持つ意味を考える上でも、改めて確認しておく必要があるだろう。

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