神奈川県立鶴見支援学校教諭
2023年11月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は半世紀ぶりに教育勧告を改訂し、加盟国194カ国の全会一致で「平和、人権および持続可能な開発のための教育勧告」を採択した。その名称が示すように、これは平和、人権、そして持続可能な開発といった世界的な課題を解決するための教育の目標や方向性を示した国際文書である。
2022年9月、国連の障害者権利委員会から「分離教育の中止」を求める勧告が出されて以来、巷間ではインクルーシブ教育を巡る議論が高まっている。日本政府の回答は国連の勧告を受け入れるものではなかった。しかし、国際的に主流となっているインクルーシブ教育の推進と日本国内の動向とが無縁ではあり得ない以上、たとえ時間はかかっても、通常の学校で学ぶ障害児の数はいずれ増加に転じることだろう。実際、自治体レベルでは東京都の国立市や神奈川県の海老名市のように、インクルーシブ教育の推進に名乗りを上げる都市も現れ始めている。
イタリアではフルインクルーシブ体制の教育が行われているが、最重度の障害がある子どもたちも本当に地域の通常学校で学んでいるのだろうか。イタリアでは障害の軽重を問わず誰もが地域の学校で学ぶのが原則である。しかし、結論から述べてしまえば、特例として残されている特別学校(イタリア語でScuola speciale、日本の特別支援学校に相当)で学んでいるケースもある。
1年のイタリア滞在中3カ月ほどの間、自宅アパートがあったボローニャから1時間ほど列車に揺られて、サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャという町の美しい広場にある小学校に通った。そこで出会ったのが、イタリアの小学校では最高学年に当たる5年生のクラスに在籍する自閉症のGさんだった。中度知的障害のある生徒だったので、日本の教育制度であれば特別支援学校に通うことになる可能性の高いケースと言えた。
イタリアの教育システムにあって日本に欠落しているのが、教育・医療・福祉の諸機関の横断的な連携システムである。イタリアの学校現場で協働している地域の代表的な機関に「地域保健機構(イタリア語でAUSLあるいはASL)」がある。地域保健機構はイタリアの医療・福祉制度の根幹を担うもので、全国の各地域に設置され、全ての住民に国民保健サービスを提供する機関となっている。日本でいうところの保健所と病院を統合したような総合的な機関と理解しておけばよいだろう。
現在イタリアでは、障害の有無を問わず誰もが一緒に地域の学校で学ぶフルインクルーシブの教育が行われている。その礎が築かれた1970年代、イタリアの通常学校においてはどのような改革が行われたのか。
イタリアの学校において、フルインクルーシブ教育の実践を支えているのが「支援教師(Insegnante di sostegno)」の存在である。支援教師とは、障害が認定された児童生徒のいるクラスに「加配」される教師のことである。イタリアでは教育・医療・福祉の各領域の専門職から成るチームを結成し、支援教師が彼らと一緒になって「個別教育計画(PEI)」を作成して、実際の支援に当たることになる。
2023年の春にイタリアで留学生活を始めて間もない頃、ボローニャ大学の教員養成講座で出合ったのが、「学校は社会を映しだす鏡」という言葉だった。学校の姿というのは社会の縮図そのものだということだ。続けて教えられたのは、「学校インクルージョンと社会的インクルージョンに違いはない」という言葉だった。これは裏を返せば、学校が分離された社会であるとしたら、社会自体もおのずと分離された社会になる、ということになるだろう。
2022年4月27日、文部科学省は「特別支援学級に在籍する児童生徒が、原則として週の授業時数の半分以上を支援学級で受けること」を求める「4.27通知」を発出した。これに対して大阪弁護士会は、24年3月22日付けで「4.27通知の内容はインクルーシブ教育を受ける権利を侵害するものである」という認識に立ち、通知を撤回するよう勧告した。大阪弁護士会の人権擁護委員会は、地域の学校に通う障害児とその保護者からの人権救済の申し立てを受けて、文科省の通知を「人権侵害」の恐れがあると認めたのである。
1970年代の一連の法改正により、イタリアはそれまでの分離教育からインクルーシブな教育へと教育制度を大きく転換させた。障害児を受け入れるために、通常学校の抜本的な改革を打ち出し、今日のイタリアの教育につながる足掛かりをつくったのである。世界の国々をリードする極めて先駆的な教育改革だった。そのイタリアでは現在、障害のある子どもたちの実に99%以上が地域の通常学校に通っており、全土で「フルインクルーシブ」に近い体制で教育が行われている。
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