第9回 「自立のための支援」から「依存先を見いだす支援」へ

第9回 「自立のための支援」から「依存先を見いだす支援」へ
【協賛企画】
広 告

 2022年9月、国連の障害者権利委員会から「分離教育の中止」を求める勧告が出されて以来、巷間ではインクルーシブ教育を巡る議論が高まっている。日本政府の回答は国連の勧告を受け入れるものではなかった。しかし、国際的に主流となっているインクルーシブ教育の推進と日本国内の動向とが無縁ではあり得ない以上、たとえ時間はかかっても、通常の学校で学ぶ障害児の数はいずれ増加に転じることだろう。実際、自治体レベルでは東京都の国立市や神奈川県の海老名市のように、インクルーシブ教育の推進に名乗りを上げる都市も現れ始めている。

 ところで、インクルーシブ教育の推進にあたり、障害児はどのような観点から支援されるべきなのか。懸念されるのは、日本の特別支援学級や特別支援学校で今なお支配的な「自立」にまつわる考え方である。「自立」というとまずイメージされるのは「他者の助けなしに自分の力で物事を行うこと」といった意味合いだろう。障害児教育の現場では、これまでこうした一義的な意味での自立を目指して、個々の支援策が講じられてきた。ここに見え隠れするのは、障害児の中にある障害をいかに克服するべきかという「医学モデル」に根差した考え方である。

 これに対して近年、当事者研究が提唱しているのは、「社会モデル」に範をとった「障害者にとっての自立とは依存先をたくさん持っていること」という考え方である。これは、周囲の社会、環境、人間関係などへの障害者の依存度の低さこそが彼らの自立を妨げており、結果として新たな「障害」を生み出しているという見方である。一見「自立」とは対極に見える「依存」を巡るこの考え方は、日本の教育現場にいまだ十分に浸透しているとは言い難い。また別の面から見れば、日々の暮らしのある地域社会から切り離され、障害児だけの教育の場で学んできた子どもたちにとって、社会を生き抜くために必要な依存先を見つけだすための機会がそもそも奪われてきたとも言える。

 日本の障害児教育の現場には、多年の労苦に基づく豊富な専門的知見が蓄積されている。インクルーシブ教育が推進される過程においては、こうした知見は旧来のような自立のためのみならず、障害児が社会で生き抜くための依存先を見いだすための場として、通常の学校を変革したり学習環境を改善したりしていくことにこそ活用されるべきである。学校の中で日々教師たちが取り組むインクルーシブな共生の場を築くための支援は、やがて周囲の社会や環境にも波及し、障害者たちが多くの依存先を見いだすことのできる文字通り生きやすい共生社会の到来にもつながっていくことだろう。

広 告
広 告