いま名古屋市が進める教育改革が「ナゴヤ・スクール・イノベーション」(以下NSI)だ。一部の市立小学校の授業にオランダのイエナプランを基にしたプログラムを導入したほか、全国で初めて全市立中学校にスクールカウンセラーを常勤で配置するなど、子どもたちの個別最適で協働的な学びの充実に取り組んでいる。その実践モデル校である名古屋市立山吹小学校を取材した後、旗振り役である名古屋市教育委員会の坪田知広教育長に目指す改革の姿を聞いた。
「ナゴヤ・スクール・イノベーション」は2020年にスタート。山吹小では、「変化の激しい現代社会に常に対応できるように自律して学び続ける子どもを育てたい」「個別最適な学びの実現のために一斉授業が抱える課題を解決したい」との考えのもと、山吹小版イエナプランとも言える「山吹セレクトタイム」(以下YST)を導入した。
同小を訪れ5年生の授業を取材したところ、どの学校でも見られるような「板書する教員の話を児童らがじっと聞いてノートを取る」という風景はなかった。YSTで行われる授業では、子どもたちは思い思いに机を並べ、グループになる子どもたちもいれば、窓に向いた低い机に向かって床に座って勉強する子どももいた。
児童の手元を見ると、ある子どもは図形問題を解き、ある子どもは漢字練習を、日本の農作物についてパソコンで調べている子どももいた。それぞれが自分の学びたい教科を選んで、自主的に学んでいるのだ。教員は教室を歩き回りながら、分からない問題にぶつかった子どもたちを教えている。
山吹小では、1年生と2年生は国語と算数の2教科で、3年生以上は国語、算数、理科、社会の4教科で、YSTを導入している。毎週金曜日、教員は子どもたちに翌週の「計画表」を渡す。「計画表」には時間割が書かれているが、そのうち1年生と2年生は約4.5時間、3年生以上は約8~10時間分を、児童自身が時間割を組む。例えば「算数が苦手だから早めに始めよう」「理科は準備片付けに時間がかかるから、2時間続きで進めていこう」と自分で決めるのだ。
単元の開始時には「インストラクション」という一斉授業が行われ、子どもたちは「単元を通して何を身に付けたらいいのか」というゴールを確認する。その上で学びのペースメーカーといえる「進度表」が用意される。「進度表」には単元ごとの学習目標や時間ごとの学習内容、学習方法の選択肢が示されており、子どもたちはこの進度表を見ながら、「いま自分はどこまで進んでいるのか」「次はこれをすればいいんだな」と自ら判断して学びを進めていき、教員が伴走者として子どもたちをフォローする。
また同小では、子どもたちの心理的安全性を高めるために「サークル対話」を進めている。サークル対話では、学級や個人の課題に対し子どもたちが皆で話し合う。さらに「山吹アドベンチャープログラム」では、グループワークの中で子ども同士が協力し合う場面を意図的に作り出し、互いの関係性を深め理解・尊重する気持ちを高める。
同小の教育改革の取り組みについて、傳佐由希子校長は「自分のペースで勉強できることで、子どもにとって居心地のよい教室環境になっているのではないか」と語る。
「いま職員室の雰囲気はとてもよい。日頃の対話の中で、YSTについてうまくいっていることだけでなく、悩んでいることなども話されている。教職員には異動があるが、学校が目指すコンセプトを明確にし、対話を大切にすることで、現在の取り組みを継続していくことができれば」と話す。
こうした名古屋市の教育改革の陣頭指揮を取っているのが坪田教育長だ。坪田教育長は1992年に文部省に入省。2022年に名古屋市教育長に就任する前は、文部科学省初中局児童生徒課課長や国立高等専門学校機構の理事を歴任した。就任当時、名古屋の教育改革は「緒に就いたところだった」という。
「2019年にスモールスタートして、ようやく少し安定し、ここから定着させていこうという時期だった。ただ400を超える学校がありながら実践しているのはまだ10校程度の話なので、可能性は感じつつも、どうやって横に広げたらいいのかと思った」と振り返る。
そして「山吹小は何ら特別な学校ではない」と強調。「私学のように子どもを選んでいないし、特別な施設もなく、教員やスタッフも増強していない。改革は校長のリーダーシップと教職員の“やってみよう精神”でできたこと」と説明する。
ではなぜ教育改革は進まないのか。坪田教育長は「見えないバリアがあるからだ」という。
「3割を超えると一気に広がる気がするが、1割に満たない間は『少し静観しよう』『いままでのスタイルでやっている方が間違いない』といった安定志向・実績主義が優先されてしまう。納得するまで動かないなどと言っていたら、何十年かかるか分からない。まずは形から入ってみる。それなら全ての学校ですぐにできるし、やってみたら意外と簡単だったということが多いと思う」
いま文科省は個別最適な学びを進めていて、名古屋市の教育改革もまさに同じ方向を向いている。坪田教育長は「職員室の対話が重要だ」と強調する。
「いま誰もが、一斉授業では中間の子どもにしかフィットしないと感じている。名古屋市では学びの基本的な考えを示した『学びのコンパス』を作った。ゼロから学ぶ必要はなくて、職員室のタテヨコの対話や他校とのヨコの対話を大切にしてほしいと思っている」
保護者の理解も、改革の大きなハードルと言われている。その懸念について、坪田教育長は「やっぱり児童が一番なので、子どもが『学校が楽しくなった』と家に帰ってきたら、『これはいいことをやり始めたんだ。応援しよう』となる。子どもが変われば大人も変わる」と話す。
他にも名古屋市は、常勤のスクールカウンセラーを全ての市立中学校110校に配置し、心理や福祉の専門家などから構成される「なごや子ども応援委員会」をつくっている。こうした仕組みは、13年に市立中学校の生徒が自ら命を絶ったことから始まった。
「当初は44人だったが、いまは183人の組織になっている。初年度の相談件数は2千695件。昨年度は約4万3千件の相談を受けた。中には子どもだけでなく教員からも相談を受け、さまざまなアドバイスを行っている」(担当者)という。
また名古屋市の小学4年生と中学1年生は、全員スクールカウンセラーが面談をするという。さらに中学校ではアンガーマネジメントやストレスとの向き合い方といった教育も行っている。
坪田教育長は文科省内でいじめ・少年非行問題のスペシャリストとして知られ、愛知県警に出向した際には生活安全部で少年課長として子どもの犯罪に対応した。こうした名古屋市の取り組みについて、「常勤で複数の専門職を学校に配置し、教職員と協働していじめ防止対策や不登校支援にあたる体制は、まさに『チーム学校』の具現化だ。しかし他都市で本市を追随する動きが起こらないのが寂しい。国にこのナゴヤモデルを拡げる後押しをしてもらうためにも、さらに成果を出していきたい」と力を込める。
最後に筆者は、出欠数欄廃止など名古屋市の内申書改革はどこまで進んだか聞いてみた。坪田教育長は「内申書改革論者」として知られているが、就任して任期がすでに半分を過ぎたからだ。
「手ごわい。何度言っても『長期的な課題』だとされてしまう。そのため入試が変わらないのなら、中学生が入試にこだわらなくとも良いシステムにしようと発想を変えた。名古屋市立高校14校の中では、生徒たちが他の高校の授業をオンラインで取れるシステムにしていく。例えば普通高校の生徒が工業高校でデザインの勉強をできるとか、進学校を一度断念した生徒が医者を目指して進学校の数Ⅲの授業を取れるとか。今後モデル実証して、市立高校間で単位互換もできるようにと考えている」と展望を語った。