「いつも持ち物がそろわない子どもがいるんです。ひとり親家庭で…お便りも渡しているのに、養育力がない保護者をどうしたらいいですか?」
とある先生にこう相談されました。同じようなことは、しばしば学校で起こるのではないでしょうか。
学校に子どもを通わせたことがある皆さんにお聞きします。学校からのお便りって難しくないですか?特に、忙しい時は十分に読み込めず、間違って認識してしまうことがあります。私はお便りを読み間違え、子どもの中学校の制服を取りに行けなかったことがありました。「問題なく」子どもを学校に通わせることは、保護者の能力に左右されます。なぜなら、難解な文書を理解して準備することが必要なのですから…。
学校との関わりの中で、学校は「子ども」のことは想像できても、「保護者」のことは想像しにくいのだと感じます。例えば、知的障害のある子どもが入学することは想定できても、知的障害がある保護者の子どもが入学してくることはあまり想定できていません。ほとんどの場合、子どもが入学する時に就学時健康診断などを通して子どもの状況を知ることができますが、保護者の状況を教えてもらえることはほとんどありませんし、保護者がどのような状況であったとしても、全力で保護者を全うすべきだという規範もあるように感じます。
そのような中で、文書をうまく読むことができず、「持ち物が分からない」「いつまでに何を準備したらいいのか分からず困っている」という保護者がいるときに、学校ではしばしば「養育力がない保護者」という言葉で片付けてしまっていないでしょうか。私が、そのような状況にいる保護者に出会うと、必ず「易しい言葉で言ってくれたら分かるのに」と言われます。そして「学校に『分からない』ということが恥ずかしい」ともおっしゃいます。
もし、学校の文書が全て「易しい日本語」で書かれていたらどうでしょうか。「易しい日本語」とは、日本語が母語でない人でも容易に理解できる表現のことです。そのような工夫があれば、「養育力がない」と思われている保護者も、他の保護者と同じように準備ができるかもしれませんし、それは、外国にルーツのある保護者にとっても同様のことが言えます。
困ったことが起こっているとき、個人的な能力に問題を返すのではなく、前提条件を変えることで子どもの利益につながるようなことが、たくさんあるのではないでしょうか。