第6回 合理的配慮と対話の関係

第6回 合理的配慮と対話の関係
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 さて、今回も合理的配慮のお話です。前回、合理的配慮と基礎的環境整備(社会モデルで考える)はペアであるとお伝えしましたが、合理的配慮にはもう一つ大切な視点があります。それは「対話をもって調整をするプロセスを踏む」ということです。申し出に対して(100%でなくても)どのようなことができるのかと、双方で考える姿勢を大切にすることです。

 対話についてはいろいろな見解がありますが、ここでは、書籍『ファンタジーマネジメント“生きづらさ”を和らげる対話術』の中で、著者の小栗正幸が提唱した内容を共通言語にしたいと思います。書籍の中に「対話とは、違った『考え』や『考え方』を持つもの同士が、お互いの相違を明確にし、一致できるところは一致させ、一致できないところはその所在を確認し合い、話し合えて良かったと納得できる『ひととき』を共有することである」と書かれています。解決が困難な双方の主張は、平行線をたどるどころか対極へと向かうことがあり、学校での「合理的配慮」という言葉を巡っても、保護者と学校が対極の関係に位置してしまうことがよく起こります。

 前回、合理的配慮とは、基礎的環境整備があっても失ったままの権利を回復させるための調整だとお伝えしましたが、対話をする際に双方(特に学校)が大切にしないといけないのは、「合理的配慮によって権利が回復されるかどうか」という視点です。前回挙げた先生は、その配慮が周囲に説明できるかどうかを気にしていました。経験上、「この子はこういうハンディがあるからこの配慮が必要なんだよ」という、その子自身に配慮の理由を求める方法が一般的です。この子と他の子の違いを明確にし、それによって特別な配慮を正当化させることは、実は「個人(医学)モデル」を強調してしまい、権利が守られなくなることも起こります。

 「学校にはさまざまな背景を持つ子どもがいる」という前提で、一人一人に合うスタイルを考えられているのか、「学校は均質」という認識ではみ出した子どもにげた(配慮)を履かせていると考えているのか。この点を整理することができれば、前回コラムで先生が悩んでいたようなことは、なくなるのではないでしょうか。

 もちろん、保護者が実情と合わない要求をしてくるケースがあることも承知しています。しかし、その背景には何があるのかを考えながら対話することで、見える景色が変わってくるのではないでしょうか。保護者を硬くするのも柔らかくするのも、実は学校の考え方一つなのです。

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