今、世間の意見は「教師はしんどい、きつい、かわいそう」「教師にはなりたくない」というものであふれています。一昔前の教員バッシングの時代とは違います。今や完全に「哀れむべき存在」のようになっています。
これはおかしい。教師の仕事は、素晴らしいものです。子どもたちの成長を間近で見られる上に、日々変化に富んでいます。ルーティンワーク続きで飽きるなんてことは一切なく、子どもたちの予測しきれない言動に日々が驚きと発見の連続です。
なぜ、こんな間違いが起きているのか。それは、教師が「余計なこと」をし過ぎているからです。その一つが、各種の過剰サービスです。
考えてみてください。教師がわざわざ数十分かけて、子どもの忘れ物を家庭に届ける理由は何でしょうか。これは前回書いたように、ほぼ99%が「親切ごかし」です。「いい先生ね」と言われるでしょうが、実際は「都合のいい先生」です。
これは人間関係全般について言えることですが、「都合のいい存在」になったら終わりです。教師をおもてなしが命のサービス業と勘違いしてはいけません。
われわれの仕事は、教育業です。社会に出た後に能力を存分に発揮できるよう、子どもの主体性を育てることが仕事です。忘れ物をしたら、子どもが自分自身で責任を取ればいいのです。親や教師が振り回されていては、子どもが駄目になります。たいていのことは、工夫すれば何とかなります。教師が貸せるものは貸して、貸せないものは本人がどうするか考えればいいのです。軽く助ける程度で構いません。もし、水筒を持ち帰り忘れたなら、わざわざ家まで届けるのではなく中身を捨てて軽くすすいでおけばいいのです。その程度のちょっとした親切なら10秒で終わり、労力もほとんどかかりません。
明らかに勤務時間外になる業務を無条件に受けることも駄目です。時間外労働には代案をもらう必要があります。学級の臨時対応トラブルだって、まっとうな管理職なら起きることがある程度事前に予想できているはずです。なぜなら、「あの子」「あの保護者」のいる学級をもたせたのですから、何も起きないはずはありません。
だから「今日の20時から」というような、保護者の都合に合わせた無理な時間外の面談などは基本的に断るべきです。子どもの命に関わるような緊急事態は別として、たいていのことは翌日の日中で何とかなります。また、一晩置いて冷静になり、明るい時間に話した方が良い結果がもたらされます。
「親切ごかし」で自ら苦しむ方向へ行くのはやめましょう。教師自身が「ウェルビーイング」の状態にあってこそ、子どもたちを幸せにすることができるのですから。