「嫌なことがあると、すぐに暴れてしまう子どもがいるんです。何を聞いても答えてくれないし、何かあるならはっきり言ってもらえないと困りますよね。『生徒指導提要』にも意見表明って書かれているし、自分の意見を言ってくれたら対策を考えることができるのに、何も言ってくれないからどうすることもできなくて困ります」
ある先生からこのように言われました。
2022年に改訂された「生徒指導提要」の「1.5.1 児童生徒の権利の理解」の中に、児童の権利に関する条約(子どもの権利)が明記されています。これは、学校で子どもの権利を守ることが生徒指導上大切だという意味にも取れます。
子どもの権利条約第12条に意見を表明する権利があり、先生もこのことを捉えて「意見を言えること」の重要性を考えてくれたのだと思います。さて、この「意見」の正体とは何なのでしょうか。
子どもの権利条約第12条には「自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する。その場合において児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるもの」と書かれています。しかし、英文を見てみると
States Parties shall assure to the child who is capable of forming his or her own views the right to express those views freely in all matters affecting the child, the views of the child being given due weight in accordance with the age and maturity of the child.
とあり、OpinionではなくViewsと書かれています。直訳すると「彼ら彼女らの視点」という意味になります。
「意見」というと、自分の中に確固たる気持ちがあり、そのことを自分の意思で言語的に表出する「Opinion」という意味で捉えられがちですが、ここでは必ずしも言語的な表出を伴わない、態度やしぐさなども意見の現れとして捉えられます。
つまり、ここで言う「意見」とは、子ども自身の状態や背景を十分に考慮しなくてはならないということなのです。その言葉がさまざまな関係性から忖度(そんたく)されていないか、十分に想いを言える環境にあったのかが重要であり、たとえ言語的な表出がなかったとしても、態度やしぐさなども全て「意見」と捉えるということなのです。
「暴れてしまう」ことは問題行動と捉えられ、学校では指導の対象となってしまいますが「なぜ今、この子はこのタイミングで暴れてしまったのか」をその子の側に立って考え、それを「意見」として捉え、大切にしないといけません。そういう子どもの「意見」に応答してくれる大人がいるということ、それ自体が子どもの権利を守ることにつながっていくのです。