前回、本質的な学力向上について述べました。今必要とされる本質的な学力とは、正解のない問題にも粘り強く自分なりの解を導き出せる力です。そして、学力が向上すれば結果的に100点を取るようにはなるのですが、それ自体を褒めるのはやめておくべきです。
どういうことでしょうか。そもそも正解のある問題の解には本質的な価値がないからです。また、満点を褒めることは「満点以外は価値がない」というメッセージでもあります。これは最悪です。
ここの本質的な価値は努力そのものであり、そちらを認めます。「頑張った結果だね」ぐらい言ってもいいですが、実は何も言わなくても構いません。それは他者が価値付けをせずとも、本人が感じ取っているはずだからです。
満点でない場合は、どの部分への努力が足りなかったのかの反省材料が必要なのであり、努力を否定するものではありません。「次はどうしたらもっと自分を高められるだろうか」と問い掛ければいいのです。
満点自体を褒め続けると、やがて他人を見下すようになる可能性があります。さらには、ミスを恐れるようにもなります。正解のない問題に対峙できるようになってほしいのに、完全な本末転倒です。
「褒めて伸ばす」という言葉があります。努力を褒めても構わないのですが、満点自体を褒めるのはやめた方がよいでしょう。中でも「〇点取れたら何々を買ってあげる」系のご褒美は、最悪の部類です。即座にやめてください。賞品と点数とは、無関係です。
学力向上は、子どもの人生をより自由にするためにあります。他者からご褒美をもらうため=支配を進んで受けるため、ではありません。自らの頭で考える力を伸ばし、人生におけるより良い選択を自分でできるようになるためなのです。
教室ですべきことは、満点を取ったこと自体や成果を褒めるのをやめることです。代わりに努力の過程を称賛し、自己を高めたこと、あるいは人の役に立ったことを認めていきましょう。例えば、一生懸命に掃除をしている姿を見かけたとき、人を助けて相手の成功を喜んでいるとき、目を見て力強くうなずけばよいのです。その時、言葉は要らないというより、むしろ邪魔です。子ども自身が「よし!」となればいいのです。親切に美辞麗句の言葉を並べるのは、孔子の言葉「巧言令色鮮なし仁」の通りです。
100点満点自体を褒めないことは、不親切教師のススメの第一歩なのです。