第8回 アサーティブ不親切教師

第8回 アサーティブ不親切教師
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 「アサーティブコミュニケーション」の重要性が、広く認識されつつあります。簡単に言えば、相手の立場や意見を尊重しつつ、自分の主張を正確に伝えることです。

 不親切教師は、自己犠牲を払うことはしません。第1回でも書いたように、自分がよく思われるための「親切ごかし」を嫌うからです。相手が子どもか大人かにかかわらず、自分は何がしたいか、何が嫌かをはっきりと伝えます。自分でできること、やるべきことは全て自分でやらせます。一方で子どもが明らかに自力ではできないことは全力サポートします。

 単にやる気がなくてやっていない子どもは、周囲に害を及ぼさなければ、取りあえず放っておきます。一方、本当に分からずに困っている子どものノートには薄くヒントを書いてあげます。一生懸命やって見てもらいたい子どもの課題をチェックします。早く終わってまだまだやりたい子どもには、発展課題を用意しておきます。

 もろもろ終えて手が空いたら、やる気のない子に「そろそろやったらいいんじゃない?」と一声掛けるぐらいはします。「真面目優先」が学級経営の原則であり、人生の選択権、決定権は子ども自身にあると考えているからです。それ以上の余計なお世話は、相手にとって迷惑な上に、自己犠牲になるのでしません。自分と子どもの主体性を共に尊重します。

 同僚への接し方にもこれは通じます。学年としての方針を共通理解したら、後はそれぞれの信条・実践を尊重します。何がしたくて何がしたくないか、得意と不得意、お互いの違いを尊重した上ではっきり伝え合います。

 「親切ごかし」のために何でも引き受けてはいけないのです。それは相手をだますという面があるだけでなく、我慢や自己犠牲はいずれ恨みや同調圧力を生むからです。「自分も我慢したんだからみんなも我慢すべきだ」という人は、はっきり言って迷惑千万です。全くの逆です。自分も自由に幸せにさせてもらっているから、相手も自由に幸せにしたいと願うべきなのです。これが正しい「お互いさま」 の在り方です。

 自己主張と正しさは別問題という自覚も重要です。例えば、拙著『不親切教師のススメ』の中で「背の順」や「書写の掲示」について、私は反対という主張をしています。自分の考えをはっきりと伝えているわけです。

 一方で、理由があってこれらをしている、必要だという人を変えようとは思いません。相手の中の正しさは、私とは別にあるからです。つまり、自分の主張は、相手にとって正解かどうかとは切り離して伝える必要があります。私がしたい(したくない)理由を相手の立場も考えて伝えるだけなのです。

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