生徒指導をきっかけにした、あるいは生徒指導の背景にある自殺は「指導死」と呼ばれます。コピーライターの大貫隆志さんが2007年9月26日、裁判支援を通じ、同じ経験をした遺族との話し合いの中で作った言葉でした。のちに、大貫さんらは「『指導死』親の会」の共同代表になりました。
大貫さんの次男陵平さん(当時13歳)が00年9月30日、10階の自宅マンションから飛び降りました。「事実関係を明らかにしてほしい」と学校に申し入れました。
自殺前日、2年生の一人が学校のベランダでお菓子を口にしていたところ、通りかかった生活指導主任が知ることになりました。陵平さんのクラス担任は「帰りの会」で、「ほかにお菓子を食べた者はいないか?」と聞きました。そして、陵平さんは友達からお菓子をもらい、食べたことを告白したのです。ほかのクラスを含め、食べた生徒は9人に上りました。
その後、教室の半分の広さの「会議室」に呼び出され、12人の教員が入れ替わり立ち替わり指導に当たったのです。結局、最終的にお菓子を食べたのは21人と判明しました。指導中、生徒たちは立ったまま。指導は1時間半にわたり、「反省文」を書くことを命じられました。
翌30日、陵平さん以外の20人は再指導を受けました。しかし、陵平さんは、顎の検診のため学校を休みました。その日の午後9時過ぎ、担任から電話がありました。「ライターを持ってきている子がいることが分かりました。陵平君の名前も挙がっています。お母さんも学校に来てもらうことになります」という内容でした。
学校は、指導された生徒に対し「親に知らせておくように」と言っていました。しかし、学校を休んだ陵平さんには知らされていませんでした。電話のことを母から聞いた陵平さんは、落ち込んでいた様子でした。
その40分後、長男が大きな物音を聞きました。10階の自宅マンションから、陵平さんが飛び降りたのです。陵平さんの部屋には「反省文」が置かれていました。
「今後どのように罪をつぐなうか考えた結果、僕は教室を放課後できるかぎり机の整とんとゴミひろいをします」
また、乱れた字で書かれた遺書もありました
「死にます。ごめんなさい。たくさんバカなことをして、もう耐え切れません。バカなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい」
大貫さんは、裁判も考えました。しかし、学校からこれ以上の情報を得るのは難しく、弁護士と相談の上、断念しました。「生徒指導が理由で死ぬのはうちの子だけ…」と思っていたところ、同様な理由で亡くなった生徒の遺族と知り合うことになりました。
その後、遺族間の話し合いの中で、「『指導』と考えられている教職員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること」を「指導死」と名付けたのです。