校務主任の仕事に、校地の整備がある。草刈りをしたり、畑を耕したり、運動場を平らにしたり、子どもたちの安全と学びのために、時には奮闘しなければいけない日もある。しかし、運が悪いことに代々の校務主任が男性だったため、小柄な私にはどの道具も使いこなすのが大変だった。
それをじっと見ていた人たちがいた。まず声を掛けてくれたのが、子どもたちだった。「先生は何でも屋さんですね。偉いですね」と、子どもたちなりの言葉で褒めてくれた。そして、子どもたちから聞き付けた保護者が手伝ってくれるようになった。お母さんたちは花の世話や掃き掃除をしてくれたし、お父さんたちは草刈りや枝の剪定(せんてい)、プールの掃除、古い道具の廃棄など何でも助けてくれた。学校の地域開放で施設を利用していたスポーツ団体の方々も、気付かぬうちに体育館や校地の整備をしてくださった。孫の登下校の付き添いで…というお年寄りは、草刈り機を振り回す私を見て、「自分がやっておくから」「次はどこを考えているの?」と、早朝から動いてくれた。
東浦町の町の人たちは、学校をとても大切にしてくれる。それは、今に始まったことではない。昔から続く風土があると思う。そして、子どもたちを町で育てていこうという思いがある。形式上、今はコミュニティ・スクールという事業が始まっているが、それ以前から地域と学校が共に歩んできた町である。
「緒川の教育」を守り続けてこられたのは、学校だけでなく地域の力も大きい。緒川小の子どもたちは、学校に地域の人たちがいるのは当たり前で、授業に地域の人たちが入るのも当然のことだと思っている。総合的な学習の時間の「生きる」や「O・T」にも、地域の力は欠かせない。2年前からは、部活動に変わって「コミュニティ・クラブ」が始まった。授業後に地域の人たちが講師となり、子どもたちと町の人たちが一緒にスポーツや文化活動に親しんでいる。地域の人たちにとっても、学校という場所が集う場所の一つになっている。
学校の職員だけで、「緒川の教育」を推進することは難しい。保護者や地域の人たち、関係諸機関の人たちも、みんな巻き込みながら推進している。「オープン・スクール」という言葉には、多くの人々に愛される風通しの良い学校づくりという意味も隠されているのである。