本校での教員生活が6年目を終えようとしている。赴任当初はちんぷんかんぷんだった私が、視察のお客さまや教員を目指す大学生のボランティアに「緒川の教育」を説明したり、外部講師として取り組みを紹介しに出掛けたりする日々が続いている。職員のみならず、多くの人たちに「週プロ」や「O・T」などの「緒川の6態様」を伝えるようになったが、それを実践するだけではうまくいかないことも必ずお話しさせていただいている。「週プロ」や「O・T」は、あくまでも一つの手法である。だから、それをマスターしたからといって、「個別」や「協働」の学びが成立するわけではない。
「個別」でも「協働」でも、大切なのは教師としての不易の部分である。それは、一人一人を大切にする教育的愛情と使命感に尽きると思う。それがなければ、どれだけ手法を学んでも、手順を学んでも、その場だけの教育になってしまい、教師の自己満足で終わってしまう。47年間、緒川小の教育課程を継続できたのは、教師の不易の部分が火をともし続けたからだろうと思っている。
緒川小の教務主任は、職員室の真ん中に鎮座する座席配置になっている。その頭上に、一枚の額が掲げられている。
「一人を粗末にするとき 教育はその光を失う」
この言葉が、代々の本校の教務主任を見下ろしてきた。自分は、本校に通う全ての子を温かく迎え、声を聞き、背中を押すことが、緒川小教務主任の最大の仕事だと思っている。そして、その姿を職員に、学生に、視察の方々に見せていくことが、緒川小マインドの継承につながると感じている。
今年も、自分の元に通ってくるおがわっ子が数人いる。クラスの輪に入れず、飛び出してくる子どもたちである。順番に1時間ずつ授業という名の居場所づくりをしている。1時間目に設定をすると、眠い目をこすりながら駆け足で学校に来てくれるから、まずはそれでいいと考えている。教室だけが居場所ではない、担任だけが先生ではない、スタッフみんなで一人残さず見ていく本校のスタイルこそが、「個別最適な学び」の始まりだし、はみ出す子を連れて子どもたちの輪に入り、一緒に遊んであげることが「協働的な学び」の始まりだと思っている。
オープン・スクールとともに始まった「緒川の教育」は、もうすぐ50年目を迎える。これからも「自ら学ぶ子」「自らの人生を生き生きと生き抜く子」を育てるとともに、地域と共に一人一人の子どもを大切にした温かい学校が続いていくことを願っている。(おわり)