育児の成果は目に見えない、分かりづらいものです。原稿執筆の依頼をいただいた後、久しぶりに近くのショッピングモールに来ました。今日は一人、寂しく感じます。育休中に娘と2人で、何度も足を運んだ場所です。
カートに娘を乗せてのお散歩。同じように親子で来ている母子はいましたが、父子は少ないなと感じました。散歩しながら寝てくれたら、夕飯用の食材を買ったり、ちょっと一息コーヒーを飲んだり…。コーヒーを頼んだ途端、すぐに起きてしまって、半分飲んでお店を出たものです。ここのトイレは日本一快適と思うくらいきれいで設備が整っています。育休当時のことを振り返りたくて、静かなカフェでもいいのですが、ここに引かれて足を運びました。
ふと立ち止まると思い返すことがあります。それは「あの時、やってよかったな」なのか、「あの時、やっておけばよかったな。」なのか…。私は第2子(次男)の時、育休が取れませんでした。なぜ、あの時に断られても取ると言えなかったのかとずっと心残りでした。だから、やらずに後悔はしたくない、自分がやりたいことをやろうと決めました。すると、家族のやりたいこともかなえていきたいと思うようになりました。
自分が死んだ時に何が残るのだろうかと考えたことがあります。正直、自分も家族も「納得した人生を送る」というのが最終ゴールです。私にとって、その一つが学校で働くことであり、教師という仕事をすることです。でも、教師という仕事が、最終ゴールに向かうことを邪魔するならば、手放す勇気も必要だと考えます。やりたい仕事なのか、笑顔になれる場所なのか、自分の時間をどこでどう過ごすのか、選ぶのは自分だと思います。
私は育休をきっかけに、思い出の場所、思い出の時間ができました。そして、人生の経験値と学びを得ました。学校外の社会を俯瞰的に見られたこと、誕生から死ぬまでの全人的な生き方と人の成長を考えるようになったこと、本当の自分自身と向き合えるようになったこと、そして育休を通して、自分や家族を見つめ直せたことは、これからの人生の道標にもなりました。人生のゆとり、時間の余裕がもたらす変化は大きいものがあります。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」
詩人・高村光太郎の「道程」の冒頭部分です。自ら一歩を踏み出すことで、生き方や進路という道が自然と開けていく、まさにその通りだと感じます。
次回から、育児短時間勤務や育休取得のエピソードをお話しします。