第4回 原発事故後に始めた生徒たちの「研究」

第4回 原発事故後に始めた生徒たちの「研究」
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 私は東京大学大学院情報学環・学際情報学府というところで災害などを専門にしつつ、中高の探究学習にも関わってきた者です。「情報学環」と言われると何をやっているのかと思うかも知れませんが、元は「新聞研究所」という組織でした。つまり、災害とメディアとを交ぜ合わせて研究してきたとも言えます。本連載の第1・2回の話は、まさにそういう内容でした。

 私が探究学習に関わりだしたのは10年ほど前のことです。東日本大震災と福島第一原発事故、いわゆる「3.11」を研究する中で、福島県立福島高校のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の活動に衝撃を受けたからです。元から地域の進学校としてSSHの活動が活発だった福島高校は、3.11によって被災地になりました。ただ、福島高校がある福島市は原発そのものからは60㌔ほど離れた内陸にあり、事故による放射線の影響はあれど津波被害はなく、多くの住民は避難せずにそこで生活を続けていました。

 福島高校の生徒がSSHの中で自分たちが調べた3.11後の福島の現状をフランスで発表した時、ある生徒が現地の人からこう声を掛けられました。

 「福島には人が住めるんですか?」

 生徒たちは、自分たちが暮らしている地域のことが何も伝わっていない、あるいは(そう問うた人に全く悪意はないにせよ)自分たちの存在自体が否定された、差別されたと感じました。

 そして何をしたのか。生徒たちは「研究」を始めました。後に国際専門誌に査読論文が掲載されることになる立派な研究です。

 やったことは極めてシンプル。放射線量計を国内外複数の高校に配布し、同時期に測定を依頼します。そうすると、各地の高校生が日常生活をする上で受ける自然被ばくの量が割り出されます。同時に、福島の高校生の被ばく量がどれだけ多いのかも明らかになります。

 結果は意外なものでした。被ばく量が福島のそれよりも多い地点が国内外に多数見つかりました。つまり、除染や時間経過とともに線量が下がる「自然減衰」によって、福島高校で生活する高校生の被ばく量が高いわけではないことが実証されたのです。「福島は危ない、あんなところには人が住めない」という物言いをする人は、国内にも、そして残念なことに今でも存在します。それが科学的に間違いだと、彼らは世界の専門家の厳しい査読の目を乗り越えて自ら証明したわけです。高校生はその成果を日本外国特派員協会で記者発表しました。うがった見方をする記者もいる場で、英語でやりとりをしました。

 ただ、この話の核心はその後のエピソードにあります。

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