第6回 「too political,too scientific」な問題 ②

第6回 「too political,too scientific」な問題 ②
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 「主体的・対話的で深い学び」を成立させる際に、「too political,too scientific」=「過剰に政治的・科学的でややこしい・面倒くさい」問題に目を向けてみること、近づいてみることが、一つの糸口になるのではないでしょうか。

 例えば、先日訪問した学校でうかがった話です。外国人も多いその学校では生徒が「ガザの子どものために募金を」と支援活動を始めました。すると同じ学校のイスラエル人の保護者から「ガザへの支援がどう使われるのか知っているのか」とクレームが入りました。校長先生は「軽率なことをしてしまった」と仰っていました。しかし、不必要に子どもを傷つけることがないように十分に留意しつつ、そのような経緯を主体的に行動をした生徒に伝えたとしたら、生徒たちが学んだこと、これから学んでいくことは計り知れないはずです。

 よく探究学習のテーマになるSDGs。「誰も取り残さないことは大事だよね」と、表面的に言うのは簡単です。Googleフォームで「困っている人を助けたいか はい・いいえ」というようなアンケートを取って、スライドにまとめてポスター発表会をして、ゲストコメンテーターとして呼んだ大学教員・役人やPTA役員に「中高生なのに偉いね」と褒められる。そういう「探究学習のパターン」も見てきたように思います。

 ただ、この募金のエピソードのような生々しい問題にこそ、SDGsが大事だと言われだしたことの核心があります。その核心に迫ろうとすると、そこには大きな闇があるのです。ある人を取り残さないように動けば、別な人が取り残される。その闇とは、「解なき問題」とも換言できます。

 「政治的」な対立が子どもを傷つけることは避けられるべきだし、「科学的」な専門知はもっと後で学ぶべきかもしれません。そこに十分に留意しつつ、「解なき問題」の解決に一歩だけでも近づこうともがいてみる経験。これが本当の意味での「探究」を促すに違いありません。

 無論、学校現場の探究学習にはさまざまな事例があり、何よりも先生・生徒も大変熱心に取り組まれていることが多い現実も理解しています。ただ、努力をしてもそれが空回りして、形式的で皮相的になってしまっている例も少なからず見てきました。

 そこで「『防災教育』を『探究学習』に組み合わせてみませんか?」というこの連載の本筋に立ち戻ります。災害を探究の素材にしてみると、結構どんな環境の学校でも実施できるし、程よい具合に「too political,too scientific」=「過剰に政治的・科学的でややこしい・面倒くさい」問題にも触れるからです。

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