第7回 災害は「解なき問題」の宝庫

第7回 災害は「解なき問題」の宝庫
【協賛企画】
広 告

 今年の3月11日、私は東京都世田谷区にある成城学園中学校高校で、福島の被災地視察参加者の報告会を聞いていました。これまで、成城学園と筑波大学附属駒場中学校・高校、灘中学校・高校の3校の先生と生徒は、何度も共に福島に行っています。灘の先生は「言い方は悪いかもしれないけど、被災地は、特に福島は、これほどの教材はないと思っています」と率直におっしゃいます。私も同意します。

 災害は「解なき問題」の宝庫です。例えば、

・100人が避難する避難所におにぎりが来たけど90個しかなかった。

・被災して家に住めなくなったので避難所に向かったら「ペットを連れているなら入れられない」と断られた。

・倒壊した建物の下敷きになった人がいて声がする。警察・消防にはつながらず、友人・知人も大変そうなのでSNSで救助を呼び掛けたらデマ扱いされて誰も来なかった。

 これらはいずれも実際にあったエピソードを元にした事例です。誰もがぱっと思い付くような「解決策」では解決しなかったことを現場にいた人たちがよく知っています。

 しかも、これらは時間軸としては災害直後の話ですが、もっと時間がたつと、より解決困難な問題も出てきます。なぜならば、災害直後は「人命を優先する」ということが唯一のモノサシですが、時間がたつにつれて予算や科学技術の知見、住民間の合意形成など、より複雑なモノサシを複合的に使いこなさなければならなくなるからです。例えば、津波被災地においていかなる防潮堤を築くべきか、原子力災害後にいかに避難指示を解除していくのかといった問題は、誰もが多少は聞いたことがあるでしょう。

 これらは「too political,too scientific」=「過剰に政治的・科学的でややこしい・面倒くさい」問題であり、独善的な「主体性」やお行儀のよい「対話」だけでは解決しなかったというか、むしろ「主体性」や「対話」の在り方そのものが、状況を混乱させた部分も大いにありました。そう、ここにこそ深い学びと、いわゆる「探究」の核心に触れる機会があります。災害、あるいはそれを事前に想定する広い意味での防災というテーマは「良い教材」なわけです。

 では、いかにこの教材を使えばよいのか。2つのポイントがあります。一つは、研究としての探究を進めるということ、もう一つは、中高生の等身大の関心から積み上げて問いを定めるということです。

 この2つがかみ合ったとき、中高生の探究は、本当の意味で「主体的・対話的で深い学び」に化けるのです。

広 告
広 告