今、「校内研究」の在り方を問い直そうとしている学校が増えています。これまでの校内研究は、学校で一つの研究主題を設定し、それに向かって全教師または一部の教師が取り組むスタイルが一般的でした。しかしながら、それではなかなか当事者意識を持って自律的に取り組むことは難しいという声が、今でも根強く聞かれます。
私はこれまで、「研究が苦しい」という先生にたくさん出会ってきました。その一方で、「研究をやりたいが、学校で自由に実践ができない」という声もたくさん聞いてきました。しかし、本当にそれでよいのでしょうか。本来、学ぶことが軸にあるはずの学校で、教師の学びが当事者から乖離(かいり)している状態では、教師という職業を、胸を張って未来へつないでいくことは難しいのではないでしょうか。
11年前、横浜市立保土ケ谷小学校に赴任してきた当時の私は、一人一人の教師の思いをきちんと聴くこともせず、「正しい研究とはこう在るべきだ」という個人的な思いで、研究を進めていたように思います。そんな中、個別最適な校内研究の在り方を目指すきっかけとなったのは、コロナ禍の3年前に職員で行った「哲学対話」でした。
「教師って何のプロなの?」「そもそも良い学級とは?」「学びって何だろう?」「学校とは何のためにあるの?」など、一人一人の「問い」について皆で考える「哲学対話」を行ったのです。
その中で、ある先生が伝えてくれた言葉が、今の研究主任としての私の在り方に大きな影響をもたらしてくれました。それは「研究会は嫌いです。でも、私は決して学ぶことが嫌いなのではありません。今まで言えなかったのですが、今の研究会のやり方が私にとっては苦しいものでした。本当はもっと自分らしく学びたいです」という言葉でした。そこから私は、教師一人一人の「当事者の声を聴き合う」ことを心掛け、教師たちが主体的・自律的に学べる校内研究のデザインについて考えるようになりました。
このように、当事者の声を聴く中で、「学校を創るのは教師だけでない」という学校づくりの視点に立ち、管理職や事務職員、栄養教諭、養護教諭、技術員、そして保護者を含めた「職員の探究」も共に創っていくことになりました。きっかけは職員に立ち話で「何かこの学校でやってみたいことはありますか?」と聴いたことでした。今までなぜ「聴く」ということをしてこなかったのだろうと思うほど、自然と一人一人の職員の思いが溢れ、やりたい職員は当事者の探究をしていこうという流れになりました。
次回は、「個別最適な校内研究の具体的内容」についてお伝えしていきます。