「善かれ」と思って、残さず食べることや苦手なものでもしっかり食べることを指導する先生がいます。これらの全てが悪いとは、私も思いません。そもそも、先生になる過程で給食指導のことを深く勉強した人はほとんどいないはずで、日々手探りだと思います。
しかし、それをプレッシャーに感じ、逆に食欲をなくしてしまう子が一定数います。そして、そのようなことに悩む子どもや保護者からの訴えは今でもよく私のところに届きます。
実際には「食べなさい」と言われると食欲がなくなり、「無理しなくていいよ」と言われると安心して食欲が湧く子がいるのです。なぜなら、健全な食欲には「空腹」と「リラックス」の2つが必要だからです。もし普段、あまり食べられない子がいたら「無理して食べなくてもいいよ」と伝えてみてください。オープンな態度で「どうして食べられないか教えて」と話を聞いてみてもよいでしょう。それが安心につながり、食べる量が増えることもあります。また、前提として「今食べられなくても、別の場所で食べられたり将来食べられたらそれでいい」というように、先生側が肩の力を抜くことも必要です。
私は食育の場として「家庭」「社会」「学校(園)」の3つがあると考えています。その子に対する、より個別的な対応であれば、「家庭」で行うのが良いでしょう。また、「社会」の中ではさまざまな価値観に触れたり、いろいろな体験をしたりすることで、今まで苦手だったものに興味を持つこともあります。
では、学校の役割は何でしょうか。それは給食などの時間を通して「みんなで食べるって楽しいな」という経験を提供することです。その経験は子どもたちにとってとても重要なことで、それがあったから将来的な食の広がりや前向きな興味も膨らんでいきます。
もちろん、食べることが好きではない子もいます。そんな子にとって大切なのは「(仮に食べられなくても)給食の時間を安心して過ごせること」です。安心できる場所や時間だからこそ、次第に「楽しい」という感情が生まれるのです。
だからこそ先生が肩の力を抜いて、給食の時間を子どもと一緒に楽しく食べることも、大切な食育の一つなのです。いや、むしろ子どもたちはそれを一番に望んでいるのかもしれません。
極端なことを言えば、先生に大それた食育に関連する知識なんてなくてもよいと思います。「先生自身が楽しく一緒に食べようとする」だけで十分。次の給食の時間に、ぜひ少し意識してみてください。