当時はまだスマホ利用に関するルールが明確ではありませんでした。分散登校が始まるまでの間は2週間に1回学年集会を開き、学年ごとに時間を分けて体育館に集合させて課題の回収と配布を行っていました。まだ自治体がTeamsなどのチャットツールを整備する前だったので、このタイミングで連絡できなかった内容があると、生徒の家庭に一軒ずつ電話をする必要がありました。
この非効率さを見て、「せめて課題の内容をPDFにしてまとめ、学校のホームページにアップできないか」と管理職に進言したこともありましたが、「たとえパスワードをかけたとしても、漏えいが心配だ。課題の配布は紙で行うように」と指導を受けました。
当時の校則では生徒のスマホを朝の会で全て回収し、ジュラルミンケースに入れて保管していました。クラス役員には回収したスマホを運ぶ係も設けられ、生徒に職員室まで運ばせていたのです。現在はこうした校則も改正されましたが、あの頃はまだスマホといえば子どもの遊び道具であり、SNSのトラブルを招くものとして忌み嫌われていました。
校内のコンピューター室からは、他校よりも強いフィルタリングがかけられ、SNSやブログにもアクセスできないよう設定されていました。今では「情報モラル」から「デジタルシティズンシップ」へと言葉が変わったように、デジタル機器とうまく付き合う方法を子どもたちと模索していくことが求められるようになりましたが、当時は「臭いものにはふたをする」「寝た子を起こすな」という考え方が主流で、「GIGAスクール構想」の理念とは逆行していたのです。
コロナ禍は、学校現場の既存の体制や考え方を大きく揺るがしました。それは良くも悪くも管理職の先生方の精神的余裕をなくし、本来の人柄をあらわにする機会ともなりました。未曽有の危機に直面したとき、とっさに出る言葉こそがその人の本音であり本性であることを、私は間近で見てきました。
特に印象的だったのは、私が校内でのスマホ利用ルールの検討を依頼された時のことです。来るべきSociety5.0に向けたスマホ利用のルールを検討できるのだと喜び、次のような提言をしました。
これは休み時間中の教室をスマホゲームセンターにしないための考えでした。しかしこの提言も「そこまで言及しろとは言っとらん。それは生徒指導の範囲だ。分掌を越えてルールを考えてはならん」と管理職から指導が入り、無駄に終わりました。