息子は中国で暮らした4年間で3つの学校に行きました。最初は第2回で紹介した「学前班」。1年後に私が留学していた大学に隣接する小学校に入学し、さらに1年後には私が別の大学の外国語学部に就職して引っ越したため、別の小学校に転校することになりました。
転校先の小学校は教育水準が高いと評判で、校区内に持ち家がないと入学できませんでしたが、勤務先の大学幹部は、「あの小学校にはうちの教員の子どもがたくさん通っていて、関係がいいので何とかするよ」と言ってくれました。さすが、コネがものを言う中国です。
小学校の始業式の日。私たち親子は外国語学部の副学部長と同僚の中国人に伴われ、校長先生を訪ねました。すると、校長先生は笑顔で「子どもたちに日本語を教えてくれませんか。日本人から直接教えてもらえるのは、素晴らしい経験になるはずです」と語り掛けてきました。
これはお願いというより、息子を受け入れてもらうための交換条件だよね…と状況を察した私は、首を縦に振るしかありませんでした。小学校には週に1度、日本でいうところの「総合的な学習の時間」のような時間があり、その時間を使って息子のクラスで日本語を教えることになりました。
当時は尖閣諸島を巡って日中関係が緊張しており、中国では反日デモも勃発していました。そんな中で日本語の授業を実施して保護者から苦情が出ないか心配でしたが、波風が立つことはありませんでした。
それにしても小学生に教えるのは大変でした。五十音を読み上げてもらったり、絵を見せて物の名前を学んだりしましたが、熱心に取り組む子どもがいる一方で、隣の子にちょっかいを出したり、大きな音を出したりして空気を乱す子もいました。言葉の壁があり、注意するのも一苦労です。
大学生相手とは勝手が違い、疲れ果てていると、息子が「お母さんは笑顔だからなめられているんだよ。担任の張先生はいつも腕組みして怖い顔をしている。行儀の悪い子にはチョークを投げる」と言いました。
え、今時チョークを投げる先生いるの?と思いましたが、そういえば息子のクラスには約50人の児童がいます。圧をもって接しないと収拾がつかなくなるのも分かる気がしました。
1カ月もたつと、小学校に行く日は朝から憂鬱(ゆううつ)でたまらなくなりました。そんな時、勤務先の中国人の同僚に「困ったことある?」と聞かれたので、私は本業の大学の仕事ではなく、小学校の児童たちの奔放さと授業の大変さを切々と愚痴りました。すると同僚から思いもよらない言葉が返ってきたのです。