今回はICT機器を使った授業について考えてみましょう。前回は、学校での日々の授業が「ローカル」「同期」という場所も時間も必要な高いコストの上で成り立っているコミュニケーションだということをお話しました。
コストが高いということは、それだけ価値が高いという意味でもあります。特に対面でのコミュニケーションは文字や音声よりも情報量が多く、齟齬(そご)が生じにくく、円滑に対話が進められます。一人一人が自室から参加するオンライン授業と比べて、現地での学校生活にはそれだけの価値があるということです。
では、これまで当たり前だったプリントや黒板・チョークを用いた授業にはどのような価値があるのでしょうか。ここでは「もの」と「情報」とで比較してみます。例えば、手書きの履歴書と内容が印刷された履歴書、どちらがコストがかかっているでしょうか。多くの方が手書きの履歴書だと答えると思います。手書きの場合、手で書くというコストがかかりますし、もし間違えてしまったら最初からやり直しです。このような高いコストへの認識こそが、人が手作業で仕上げたものに感じる温かみの正体なのです。
手紙でのやりとりなど、文字に対して温かみを感じる場面というのは現在でも存在します。しかし、そこに時間をかけることが、日々の授業で果たして常に必要でしょうか。生徒一人一人がタブレット端末を使えるようになった今の時代に、コミュニケーションにおいて「もの」でやりとりするのか、それとも「情報」でやりとりするのか、効果を最大化するためにも場面に応じて使い分けることが求められると考えます。
教員がプリントを用意する際、たいていの場合はパソコンを使って作成します。作っている間はデジタル情報ですが、完成したプリントを配布する際、印刷という作業を通してプリントが「情報」から「もの」へと変換されます。もし、それが宿題として提出する必要があるものなら、生徒はその紙を大切に保管し、内容を仕上げた状態で先生に出さなければなりません。「情報」から「もの」に変換するとなると、変換中にも変換後にもこうしたコストがかかるのです。