第7回 家族は反日なのに…日本語学科にしか受からなかった受験生の葛藤

第7回 家族は反日なのに…日本語学科にしか受からなかった受験生の葛藤
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 前回に続いて、中国の大学入試について紹介します。

 試験前日から当日にかけては、国中で決起集会が開かれます。赤い衣服に身を包んだ保護者集団が垂れ幕を手に声援を送ったり、試験を終えて会場から出てきた受験生を消防車の放水でねぎらったり、スポーツの大会のような熱気むんむんの雰囲気が伝わる画像がSNSに多数投稿されています。

 試験が終わったら次は出願ですが、このプロセスも日本とかなり違います。筆者が勤務していた大学の学生たちの話を総合すると、自己採点の点数を見ながら入りたい大学、入れそうな大学・学部を第6志望まで記入して提出するのですが、これが本当に大変な作業とのことでした(地域によって細かい違いがあるので、一般的なルールと考えてください)。

 日本の約10倍の人口を擁する中国には、実に多くの大学があります。大学生は寮に入るのが一般的で、地元志向もそれほどありません。その中で、限られた時間で第6志望までを埋めなければならないのです。

 「第4志望以下は適当に書いて後から決めればいいや」というわけにもいきません。出願後は教育部(日本の文部科学省に相当)が学生の成績や志望を基にどの大学・学部に入学を許可するかを決定し、「入学許可証」を発行します。受験生が入学できるのは、入学許可証に書かれた一つの大学・学部のみです。

 中国の大学に勤務していた頃の教え子の1人は、「入試で失敗してしまい、一から志望校を見直さないといけなくなったのですが、第5志望まで記入したところで出願締め切りまで10分を切ってしまい、最後の空欄は適当に選びました。するとその大学に決まってしまい、「そんなところ書いたっけ?」としばらくは思い出せなかったそうです。その学生は内モンゴル自治区出身のモンゴル族です。私が勤務していた大学は定員の65%以上を少数民族にするルールがあるので、そういう事情もあって割り当てられたのでしょう。

筆者が勤務していた大連市内の大学での日本語学科の授業。
筆者が勤務していた大連市内の大学での日本語学科の授業。

 別の男子学生は、第1志望から第6志望まで経済・経営系の専攻を記入していたのに、入学許可証に「日本語学科」と書かれているのを見てショックを受けたと言います。彼の祖母は戦争体験から日本を敵視しており、日本語学科で学んでいることを卒業まで打ち明けられなかったそうです。

 失意を胸に日本語学科に入学した2人はその後、日本語関連の全国コンクールで入賞し、日本に交換留学もしました。1人は日本でIT企業に就職し、現在は半導体景気に沸く熊本県で活躍しています。私は彼がアパートを借りるときの保障人にもなりました。今では2人とも「日本語を勉強して未来が広がった」と言ってくれます。

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