第1回 「なぜ研修が面白くなかったのか」

第1回 「なぜ研修が面白くなかったのか」
【協賛企画】
広 告

 「なぜ研修が面白くなかったのか」

 ふと、頭をよぎることがあります。もう15年も前のことであるにもかかわらず、です。

 私は初任者の頃、研修という場が本当に苦手でした。いつも研修の日は誰よりも早く会場に到着し、一番後ろの席に座り、隣に誰も来ないように荷物を大げさに広げ、鎮座していました。誰にも話し掛けられたくないし、会場の前方に座って講師に自分が書いたものを見られたり、指名されたりすることが嫌でした。本当に感じの悪いやつだったと今も反省しています。

 当時、研修では、グループワークが積極的に導入されていました。とにかくグループで話し、時に考えをまとめたり、意見交換をしたりといった形です。自分はその時間が苦手で仕方がありませんでした。担当している学年や科目、子どもたちの実態が違うにもかかわらず、初任者同士で話し合って何の意味があるのかと、皆目見当がつかずにいました。

 グループワークが始まると、私はいつも率先して記録係を担当し、適当に相づちを打ちながら、一言一句他の受講者の話をメモすることに全力を傾けていました。当時の私の議事録作成能力は、非常に高かったのだろうと思います。

 講師である指導主事の話も、国が提示している資料をそのまま読むだけで分かりづらいものがありました(これは、当時の指導主事への批判では全くなく、そうした思い込みのもとでしか話を聞けていなかった自分への戒めとして、書かせていただきました)。研修の最後に各グループで話し合われた意見を全体で共有しても、最後に担当者から言われるまとめは、決して当時の自分が直面しているさまざまな課題を解決してくれるものではありませんでした。

 ただ、今でも考えるのです。「あの時の自分は、なぜ研修が面白くなかったのか」と。

 当時の私は、研修という場をどのように捉えていたのだろうか。「初任者が自分なりの課題や気付きを得る場」「互いに豊かに学び合う場」といったことは思いもしていなかったと思います。きっと、「自分が今置かれている現状を好転させることが約束された、知識や考え方、指導法を授けてくれる場」「誰かが自分の何かを解決してくれる場」といった心持ちで、当時の私は研修という場に臨んでいたような気がします。

 同時に、当時の私には、解決しなければならない本当の課題、自身がこう在りたいと本当に願う姿が、そもそも見えていなかったのではないか、あるいは見ようともしていなかったのではないかとも思いました。

 

【プロフィール】

堀内貴臣(ほりうち・たかふみ) 独立行政法人教職員支援機構教職員の学び協働開発部連携推進課課長補佐。大阪府立学校教諭、大阪府教育センター指導主事、独立行政法人大学入試センター試験問題調査官を経て、現職。東京学芸大学高校探究プロジェクト国語科委員、文部科学省子供の新たな学びの実現に資する学校管理職マネジメント力強化推進事業統括アドバイザー。

広 告
広 告