研修を忌み嫌っていた私が指導主事として教育センターに着任し、初任者研修をはじめとする授業づくり研修などの数々を担当することになるわけですから、因果なものです。
着任して、約2週間後に初任者研修の第1回を控えていた私は、非常に困りました。かつて自分が受講した初任者研修の印象は決して良いものではなかったし、そもそも研修を自分が行うというイメージが全く持てなかったからです。正確に言うと、自分が抱く研修のイメージの一つに学習指導要領や文部科学省が示す資料などを踏まえ、今求められる授業の在り方などを流ちょうに説明する指導主事の姿があったのですが、そんな姿を自分に重ね合わせることはできませんでした。
そうして取り掛かったのは、前年度の同じ研修で使用された資料やスライドの確認でした。前任の指導主事が作成した研修資料の数々は、研修とは何かが何も分からない、分からないことすら分からない自分にとって、ためらう余地のない正解そのもののように見えました。前年度のアンケートを見ると、受講者満足度は上々。感想にある、「とても参考になった」「今後の実践にも生かしたい」といった声は、正解らしさをより際立たせるものでした。
私は、その内容に倣って資料を作成し、研修当日を迎えました。結果的には何とかなりました。受講者アンケートも上々で、初任者からの感想も決して悪いものではありませんでした。
ただ、今でも考えるのです。あの時の自分が行った「研修は面白かったのか」と。
前年度の内容を踏襲し、国や自治体が示す資料の要点を丁寧に説明した初任者研修。私自身には、予定していたことをやり遂げたことへの達成感がありました。ただ、自分で研修をやっていて「面白かったか」と問われると、そんな気はしません。
では、受講者である初任者にとってはどうだったのか。アンケートにあった、「話がとても分かりやすかった」「教えてもらったことを使ってみたいと思いました」を、私はどう受け取るべきなのか。私は、分かりやすいと思ってもらえる説明を目指していたのか。今後いつか使ってみたいと思ってもらえるようなことを紹介することを目指していたのか。仮にそれが本当に目的だったとして、大勢の初任者に教育センターに集まってもらった意義に応え得ていたのか。そして、そもそも、そんな研修は、「面白かったのか」。
当時のことを振り返ろうとするのですが、頭の中に靄がかったような感覚に襲われてどうにもうまくいきません。目標が鮮明ではない取り組みは、振り返ろうにも振り返ることができないのです。軌跡は意図をもって歩んだ道にこそ残るような気がします。