9月からスタートするフランスの新年度、その新学期の始まりはla rentrée(ラ・ラントレ)という。この語の語源は「戻る(rentrer)」という動詞で、筆者は当初「始業なのに、なぜ『戻る』なのだろう」と不思議だった。日本の年度初めの4月には、文字通り「始まる」「新しい」のような切り替えとリスタートの感覚があり、私自身もその中で育ってきたからだ。
だが実際にフランスに暮らし、自分自身や子どもたちの新学期シーズンを過ごしてみると、この時期に抱く感覚はまさに「戻る」だ。それを迎えて親子がそれぞれに覚える悲喜こもごもにも、この「戻る」の感覚が、通奏低音のように流れていると感じる。
フランスで9月の新学期が「戻る」感覚になる最大の理由は、その前の7・8月の過ごし方にある。6月に年度末を迎えるフランスの学校教育制度では、7・8月の2カ月は「グラン・バカンス」と呼ばれる長い夏休み。フランスでは学校での部活動が盛んではなく、あったとしても夏休みには活動しない。そして年度の変わり目なので、学校からの宿題もない。大半の児童・生徒たちはこの2カ月間、一度も学校に足を運ぶことなく、学校について考える機会も少ない環境で過ごす。
親たちの方も、夏の間に数週間まとめて長期休暇を取得することが、国の労働法で定められている。年の有給休暇5週間のうち2週間〜4週間を、5月から10月の間に取得せねばならない。この期間は自宅から離れた場所に旅立ち、のんびり過ごすのが風習だ。それは家族旅行だったり田舎への帰省だったり、子ども向けのサマーキャンプ的な民間・福祉キャンプだったり。さまざまな形があるものの、「自宅から離れてどこかに行き、非日常を過ごす」ことが、大人にも子どもにも重視されている。1930年代に年次休暇制度ができてから定着している、フランス社会の歴史的な文化だ。
フランスの子どもたちの夏休みは、9月から翌年6月までの学校での日常から、物理的にも精神的にも大きく離れて過ごす時間なのだ。夏休みにも部活動があったり、自由研究や宿題があったりする日本からは、想像しにくいかもしれない(筆者も毎年驚きを新たにしている)。この夏の隔絶を経ているからこそ、9月からの新学期は、日常に「戻る」という感覚になるのだろう。
通学と学習の日常生活からこれだけ長い期間を離れていると、そこに戻るのもまた、一苦労。8月が終盤に近づくと、親向けのメディアでは「新学期に向けての準備」の特集が多く組まれる。休み中に崩れてしまった睡眠時間や宿題向けの自宅学習時間など、生活リズムの取り戻し。人に会う機会が少ないために、気にしていなかった身だしなみ(散髪、靴……)。そして新学期から必要な学用品の準備。こう並べていくと日本と同じように見えるが、その実態はやはり、文化や社会を反映して異なっている。
筆者にとってその最たるものは、学用品の準備だ。フランスの小中学校では授業内容に教員ごとの裁量が大きく、文房具も教科と教員によって、用意するものが変わる。そしてその指定は細かく、ノートであれば大きさだけではなく、径か升目か方眼か白地か、1冊は何枚つづりか、つづりは糸とじかリングとじか、まで決められている。しっかり指定を見ずに間違えてしまうと、買い直さねばならないことも。また授業で使うノートにはペンでの「清書」が原則なので、計算などに使う「下書き帳(Cahier de brouillon)」の用意も別に必須だ。
国民教育省の公式サイトでは、この学用品リストのモデル例が示されている。下のように絵入りで解説されているが、実際は文字のみの箇条書きが主流。筆者はこれまで保護者として、絵入りのリストの実物は見たことがない。
そしてこれら文房具リストの内容にも、「おや?」と思うものがいくつかある。例えば箱入りの「ティッシュペーパー」。鼻をかんだり汚れを拭いたりする定番の品だが、小学校ではこちらもリストに入っていて、教室内にキープして使用する個人用品としての持参を求められるところがある。また「透明のプラスチック・シート」は、教科書にブックカバーとしてかけるもの。フランスの学校では通例として教科書は貸与式で、学年ごとに使い回し、生徒たちは毎年配布されたものを返却する。そのため、教科書への書き込みは禁止されている。
親たちは新学期に向けて、この学用品リストを片手に、スーパーマーケットや文具店を回る。8月の半ばになると、大手スーパーでは広い一角がこのための特設コーナーになる。夏の終わり、リスト片手にワァワァ言いながら文具ハンティングに走る親子の姿は、まさに新学期の風物詩だ。
商店には8月半ばから陳列されている、と書いたが、実際にその時期から買い出しをする家族はそう多くない。理由は、肝心の学用品リストがないから。長い夏休みには教員たちも休暇を取り、勤務の開始は始業日の数日前。学用品リストが公式サイトや掲示板で公開されるのは、始業日ギリギリになる。かくいうわが家もこの8月の最終週は、子どもたちの通学校の公式サイトに毎日アクセスし、今か今かとリストの公開を待ち望んでいた。
この学用品リストは新学年ごとに配布され、全て保護者が自費でそろえねばならない。またフランスの小中学校には学校指定のバッグや運動服がなく、こちらも保護者がそれぞれに購入する。保護者の代表団体「ファミーユ・ド・フランス」は、中学1年生の新学期準備品の購入価格を40年前から調査し続けて発表。2024年の調査結果では、新学期準備の購入にかかる費用の全国平均は223.46ユーロ(1ユーロ=約170円換算で約3万8000円)で、前年比では1.27%の減少が見られた。
フランスの子育て関係の給付を担う家族手当金庫では、この新学期の出費を補塡(ほてん)する「新学期手当」という給付金を設けている。額は毎年の物価を反映して変動し、2025年は小学生一人につき423.48ユーロ(約7万2000円)、中学生一人につき446.85ユーロ(約7万6000円)、高校生一人につき462.33ユーロ(約7万8600円)。子どもの数に従って所得制限があるが、対象家族の登録口座には、8月中旬に自動的に振り込まれる仕組みだ。
新学期に準備すべき手間と出費はありつつも、共働きが大半を占める保護者は、その到来を待ち遠しい思いで迎えている。子どもと過ごす夏休みは楽しい、しかし何しろ長い! 小学校の間は市区町村が学童保育サービスを提供するが、それがなくなる中学生・高校生でも、炊事や洗濯をはじめ安心安全な生活の維持にはまだ、大なり小なり親のケアが必要だ。完全に放置、というわけにもいかない。
フランス語の新学期をことほぐ表現「新学期万歳!(Vive la rentrée!)」に、「親」をつけて検索すると、子どもよりも親の方が喜んでいる画像がいくつも出てくる。そして筆者もフランスで子を育てる一人の親として、その解放感は偽らざる実感だ。
一方の子どもたちの方はどうかというと、筆者の周囲を見る限り、新学期への思いは人それぞれのようである。新しい学校に進学する際は不安と期待が入り交じり、同じ学校での新学期なら、クラス替えに伴う担任とクラスメートの顔ぶれが気になる様子。フランスのクラス替え名簿は新学期登校日の前日、もしくは当日に、学校の入り口に掲示されるやり方が多く、夏休み最終日の学校前は、掲示板をチェックしに来る親子連れが見られる。
この連載で前回のテーマにした不登校に関しても、夏休み明けは難しい時期だ。学校に行かない2カ月がレスパイト期間となって状態の落ち着く子もいるが、苦しい場所に「戻る」不安に襲われやすいのもこの頃。不登校に関しては、新学年も「戻る」の言語感覚で語られるフランス社会の方が、その不安が理解されやすいかもしれない。
筆者はこの機に、知人の子どもたちに新学期への思いを尋ねてみた。その中の一人の高校生の言葉に「そうだよな」とうなずきつつ、結びに換えてご紹介したい。
「新学期の始まりをどう思うかは、本当に人による。学校が好きな子もいれば、できれば行きたくない子もいる。その理由も勉強だったり、人付き合いだったり、いろいろだ。大人だってみんな、性格や事情が違うでしょう。仕事が好きな人もいれば、嫌な人もいる。子どももそれと一緒だよ」
【プロフィール】
髙崎順子(たかさき・じゅんこ) 1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。東京大学文学部を卒業後、出版社で雑誌編集者として勤務したのち2000年に渡仏。フランスの社会と文化について幅広い題材で取材・執筆を行う。得意分野は子育て環境、食文化、観光など。日本の各種メディアをはじめ、行政や民間企業における日仏間の視察・交流事業にも携わっている。自治体や教育機関、企業での講演歴多数。主な著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書、2016年)、『休暇のマネジメント 28連休を実現するための仕組みと働き方』(KADOKAWA、2023年)など。