厚生労働省による子どもアドボカシー制度検討の動きが加速するようになったのは、2018年3月に起きた東京目黒区の船戸結愛さん=当時(5)=と、2019年1月に起きた栗原心愛さん=当時(10)=の虐待死事件があったからである。
結愛さんのノートには次のように書かれていた。
「ママ もうパパとママに いわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっとあしたは できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」
このノートが書かれた当時、結愛さんに対する苛烈な虐待が行われており、暴力・暴言による支配とコントロールの下に置かれていた。結愛さんは、「怖いよ」「助けて」という心の声を押し殺し、耐えるしかなかった。本来、こうした時に助けてくれるのが児童相談所のはずである。にもかかわらず、児童相談所は結愛さんに会って声を聴くことをしていなかった。
心愛さんの場合も、児童相談所はその声を聴き、考慮することを怠っていた。事件の検証委員会は、「(支援の中で)心愛さんの意向が尊重されていない可能性」があり、「心愛さんの気持ちや性的虐待の疑い、医師の診断などを踏まえれば、この時点(2017年12月27日)で、一時保護を解除すべきではなかった」と指摘している。心愛さんは「帰りたくない」と訴えていたのに、その声が尊重されることがないまま、家に帰されてしまったのである。
心愛さんの事件では、教育委員会が父親の圧力に屈して、アンケートのコピーを渡してしまったことも大きな批判を浴びた。声の大きなおとなの意向で物事が進み、子どもの小さな声が無視されてしまうことを象徴的に表す出来事だった。教育委員会も心愛さんの気持ちや意向を「知ってはいたが、軽視していた」のである。心愛さんが子どものため、マスコミや社会に訴えたり、裁判や苦情解決の仕組みを利用したりすることができなかったからである。
もし、子どもアドボケイトがいて、心愛さんの声を聴き支援をしていたら、こんなことにはならなかったのではないかと残念でならない。検証委員会は改善策として、「子どもの利益を最優先し、子どもが意見を述べる機会を保障し、尊重する」ことを提言している。
この二つの事件に加え、2016年3月には神奈川県相模原市で親から虐待を受けて保護を求めていた中学2年生の男子生徒が、保護されなかったために自殺した事件もあった。
相次ぐ悲惨な事件を受けて、児童相談所による子どもの保護や施設等での生活において、子どもの意見表明を支援するアドボケイト制度の構築に向けて国が動き出したのである。