「子どもがする授業」では直接指導する機会が少なくなる分、教師は子どもたちの学びの姿をじっくりと見取ることができます。普段の授業では子どもたちの姿を見取りながら、授業の流れをどう修正するか、どんな発問をすればよいかを同時に考える必要があります。子どもの発言を聞きながら、「思考が深まるにはどこにどう板書しようか」などと瞬間的に判断しなければなりません。そのため、子どもの学ぶ姿を素直に受け入れたり、心から驚いたりするゆとりが失われがちです。
「子どもがする授業」を実践すると、子どもたちがいかに有能な学び手なのかを再認識します。MP(マイプラン)学習やFSP(フリースタイルプロジェクト)では、子どもたちは指示を受ける前に自分が学びたい場所に必要な物を持って移動します。そうして教室から出ていく子どもも教室に残る子どもも、自分のタイミングで当たり前のように学び始めます。一人学びなので、必要な情報を入手したり適切な環境を整えたりするのも自分で行います。
FSPは個人探究なので、必要な物は全て自分で準備することになります。約350人が一斉に学び始めますが、「忘れ物をしてきたので活動ができなかった」という話を聞いたことがありません。もしかしたら、何か忘れ物をしたり不都合が起こったりした子どももいたのかもしれませんが、教師に頼ることなく自分で考えて解決したり、仲間に相談したりして何とかしていたのかもしれません。だとすれば、それも大事な力です。
子どもたちは、自学・自習で自分が教える側になってみて学ぶことも多いようです。「いくら説明してもなかなか分かってもらえなくて、どうしていいのか困りました。先生も大変ですね」と感想を述べた子どもがいました。「授業をやってみると、先生の気持ちが分かるようになります。だから、授業中にここではどんな発言をすればいいのかなと少し考えるようになりました」と、集団で学ぶ意識について話した子どももいました。
自学・自習では、子ども同士のやりとりが長く続くことが頻繁にあります。教師が子どもたちの意見を繰り返したり引き取ったりしないため、間ができないからかもしれません。あるいは、教師への気兼ねがないので、「どうしても納得できない」と真正面から意見をぶつけ合ったり、「だったら、私は…」と関わりのある子どもが自然に議論に加わったりすることができるからかもしれません。
こうした子どもたちの学ぶ姿を見るにつけ、教師の役割は何なのかを考えさせられます。教師が子どもたちと共に学ぶからこそ、深まる学びを創っていくことができるのです。