【個別・協働・探究で学校が変わる(3)】学校に「〇〇しなさい」はいらない

【個別・協働・探究で学校が変わる(3)】学校に「〇〇しなさい」はいらない
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 東京都の離島に小さな公立小学校がある。朝の「サークル対話」を終えた子どもたちは1時間目の算数の準備を始める。自分で作った今週の時間割を確認している子、本棚にあるポートフォリオを取りにいく子、友達とおしゃべりをしながら算数の準備に取り掛かる子、慌てて鉛筆を削っている子などがいる。

 昨年からこの学級では、教師による一斉指導がほとんど行われていない。その代わりに子どもたちは「自由進度学習」という方法で自律的に学んでいる。

 担任は子どもたちと楽しく談笑しながら算数の教室に移動する。規律正しく整列し、黙って移動するわけではない。公立学校で徹底されている「整列して黙って移動すること」は手段であって目的ではない。「何のためか」「どんな方法が最適か」「自分で考えて」というのがこの学級の考え方。この学級では全てにおいて「何のためか」を考え、自分で決めることが重視されているのだ。

 算数の学習が始まる。子どもたちは、できるだけ早く(1分以内に!)学習に取り掛かることが求められている。これはこの学級の数少ないルールの一つだ。なかなか学習に集中し始められない子が、他の子の学習を阻害してしまうことを解決するために自分たちで作ったルールだ。すぐに心地良い静けさの中で算数の学習が始まる。

 ここまでの時間、朝から担任は一度も「〇〇しなさい」という発言をしていない。それどころか指示らしい指示は皆無だ。多くの学校では「座りなさい」「黒板を見なさい」「算数の準備をしなさい」「並びなさい」「静かにしなさい」などの指示が、一日中聞こえてくるような気がする。

 学校という場所に慣れていない子ども(例えば1年生など)に対し、このような指示が必要だというのは理解できる。しかし、子どもたちが小学校を卒業するまでの6年間、同じような指示が繰り返されてはいないか。その結果が「受け身な子ども」「思考できない子ども」「指示待ちの子ども」を育ててしまっているのかもしれない。

 子どもたちは有能である。彼らは目的を考えて適切な行動を選択することができる。だから「ルールなどいらない」と言っているわけではない。集団で生活していく以上、民主的な手続きでルールが作られることは必要だ。われわれが注意すべきは、教師による安易な「〇〇しなさい」という指示や、「目的」と「手段」をはき違えた時代錯誤なルールが、子どもたちが自ら考えて行動する可能性を奪ってしまっているということだ。この学級で見られる自然で主体的な子どもたちの姿は、安易な「〇〇しなさい」という指示や意味のないルールを注意深く取り除いてきた結果でもある。

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