時代は工業時代から情報時代、そしてSociety5.0へと加速度的に進んでいる。工業時代において、人は「従順であること」が重要事項だった。今でも多くの学校では「学習規律」という名の下に「静かに着席すること」「教師の話を黙って聞くこと」「指示通りに行動すること」など、「従順であること」が隠れたカリキュラムとして繰り返され、強化されている。
「主体的な子どもを育成する」という目的がなかなか達成されないのは、学校文化の根底に「従順であること」を求める工業時代の思考がいまだに根強く流れているからだ。子どもたちが真に主体的な学び手へと変容していくためには、子どもと向き合うわれわれ大人のマインドセットを脱工業化していく必要がある。そうした中、私は一教師として、子どもが「従順であること」から「主体的であること」へと変容していくための改革を始めた。
まず、子どもに学びの全体像を示し、教科ごとの到達目標を明らかにした。そして、目標を達成するためのさまざまな学びを紹介し、子どもたちが自分に合った教材、方法、ペースを自由に選択できるよう学習の設計を根本からデザインし直した。
しかし、子どもたちに大きな「自由」を与えた後に起こったことは、私をひどく悩ませた。主体的に学び始めると思っていた子どもたちが取った行動は、それとは大きくかけ離れていたのだ。「面倒なドリル学習に取り組まない」「理解していなくてもごまかす」「答えを丸写しする」「苦手な学習を後回しにする」「自分の能力に合った課題を選ばない」「気が散って集中力が続かない」。私は、学びから遠ざかる子どもたちを見て、再び子どもたちから「自由」を取り上げ、「従順であること」を求めたくなっている自分に気が付いた。
果たして本当にそれでいいのだろうか。教師による指示や強制で学びに向かう子どもではなく、自ら学びに向かう子どもを育てたかったのではないか。子どもたちに「自由」を与えたことで、教師による指示や強制をしていた時には見えてこなかった子どもたちの現状が見えてきたのではないか。すなわち、子どもたちは自ら学びに向かっていたのではなく、大人から強制されて学んでいただけなのではないか。
私は、安易に「従順さ」を求めることを踏みとどまった。子どもたちの中にある「学びたい」という欲求を引き出し、子ども自身が自分をコントロールしながら学ぶ姿を実現したい。そして、そのためには「非認知能力」の向上、中でも「内発的動機付け」が重要であると思い至った。