先輩にこう言われたことがある。
「もし38度の熱を出したとしても、私は出勤するかな。37度台なら当たり前に出勤する。38度台ならちょっと頑張って出勤する。39度台でようやく考える。だって私は、クラスの歯車じゃなくて、歯車を回す本体だから。私がいないと進まなくなってしまう。いつもより少し早く退勤するくらいはするけど、早退したり休んだりはしないかな」
実際にその学校では、発熱で休むどころか、早退する先生さえもいなかった。
コロナ禍の今でこそ少しでも体調不良を感じたら休むのが当たり前になっているけれど、以前は発熱して休んだら、誰かへのしわ寄せが大きくなってしまうのでなかなか休めなかった。そのくらい本当にみんな必死でやっていた。「無理をしてでも働く」が当たり前だったような気がする。
数年後、私が中休みに職員室へ行くと、初任者の先生が帰る支度をしていた。発熱をしたらしい。その初任者の先生が、他の先生に話している内容が耳に入ってきた。その言葉が、私は今でも忘れられない。
「私はもしかしたら、まだ体調的には大丈夫かもしれないんですけど、具合が悪くて発熱している状態のときに、もし大きな災害や事件が起きたとしたら、子どもの安全を保障することができません。万全な私になるために、今日は早退します」
当時の私はまだ「もし、具合が悪くなったとしても、休むという選択肢はないんだろうな…それが子どものためだから」と当然のように思っていたから、初任者の先生の考え方に驚き、そして考えさせられた。確かにな、本当だな…。自分が立っているのもやっとなフラフラな状態で、もし地震が起きたとして、私は子どもたちを助けられるのだろうか。とっさに判断して俊敏に行動する…、そんなことができるだろうか。
私はあの時、あの言葉を聞けてよかった。私は初任者の先生に尊敬の念を抱いた。自分の考える「子どものため」を信じ、はっきりと伝えていたあの姿に。私もそういう人でいたいなと強く思う。
学校にはさまざまな「子どものため」が存在している。休まない選択をした先輩も「子どものため」。そして、帰って休む選択をした初任者の先生も「子どものため」。だけど、休んだ方が子どものためにも自分のためにもなるかもしれないとは分かっていながらも、人が足りないことも分かっているから、「休まない」という選択をしがちになる。だから私は、このご時世の「少しでも体調不良だったら休む」という風潮に感謝をしている。どうかそれが、これからもずっと当たり前になりますように。