「学級担任に疲れちゃったから特別支援学級の担任になったの?」
「特別支援学級って人数少ないし、通知表とか楽そうだよね」
「若いうちからずっと特別支援にいると、経験が積めなくなるよ」
「特別支援はもう十分に経験したでしょ。早くこっちに戻っておいで」
特別支援学級は楽。学校を動かすのは通常学級。経験して勉強するのはよいと思うけど、ずっといるとその人のためにならない…。残念だけれど、「特別支援学級は、仕事ができない先生が行く場所」と考えている先生が、まだいる。一定数いる。私が特別支援学級の担任だった時、このような言葉を掛けられることがあり、そのたびに悲しい思いをした。
確かに、子どもの数だけ見たら簡単に思えてしまうのかもしれない。加えて今は、通常学級でも、特別な支援を必要とする子どもたちを指導するのが当たり前となっている状況もある。それ故に「40人の中に特別支援学級判定の子が何人かいて、それでも通常学級は何とかやっているんだよ。そんな中で特別支援学級は、多くて8人でしょう?個人面談だって通知表だって8人分なら、負担は少ないよね?」と思われてしまうのかもしれない。
でも、全ての教材を子どもの実態に合わせてカスタマイズすること、教科書も指導書もない中でその子に必要な授業を展開すること、その子の特性と今必要なことを照らし合わせて対応すること、通知表に各教科での姿を具体的に表記するために日々記録を取ること、保護者と綿密に連絡を取れるように毎日8人分の連絡帳を丁寧に書くこと、先が不安な保護者に寄り添いながら話をしていくこと…どれも想像以上に大変で、やりがいのあることだった。だけど、経験していないと想像の範囲にとどまってしまうのかもしれない。
特別支援学級の担任を離れた今でも、先述したような悲しい言葉を聞くことがある。そのたびに私は、一緒に特別支援学級担任をしていた先輩の言葉を思い出す。
「私は特別支援学級の担任を誇りに思うし、子どもたちもこの学級で学ぶことに誇りを持てるようなクラスにしていきたい」
通常学級が良いとか特別支援がどうとか、自分の物差しでジャッジしてそれを誰かに進言するなんて、少しも必要ない。そして、教師が誇りを持てないものに、子どもが誇りを持つのは難しいと思う。どんな場所であっても、目の前の子どもたちにとって安心安全な場にしていくこと、そして誇りに思える場にしていくこと。それを大切にしたい。
でも、やっぱり経験しないと理解って難しいんだと痛感する。昨今は「特別支援学級の担任は必ず経験すべき」との声もある。でも、やりたくないのにやられても複雑。この溝はどうやったら埋まるんだろう。