【現代アートの見方を知れば 世界の見方が変わる(13)】日常をアートとして見る

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 本連載ではこれまで現代アートの見方について、アーティストの狙いや作品の意図、表現の多様性や作品へのアプローチの仕方、現代アートという領域が持つ意義とそこに潜むわななど、多岐にわたって紹介してきました。現代アートを鑑賞すること自体は楽しい体験であり、現代アートそのものを愛することも大切なのですが、それはある意味ではレッスンに過ぎないとも言えます。本当に大切なのは、現代アートを鑑賞するレッスンを通じて、日々の生活の見方を変えていくことだからです。

拙作「ニテヒナル」では山の自然の中に精巧なプラスチックの植物を入れて、自然と自然でないものの境界を問い直すことで、日常の見え方を一変させた
拙作「ニテヒナル」では山の自然の中に精巧なプラスチックの植物を入れて、自然と自然でないものの境界を問い直すことで、日常の見え方を一変させた

 現代アートの作品は、必ずしも何かの目的を達成しようとして表現されるわけではありませんし、アーティストは自らの切実な欲求や必然性から表現を生み出していることがほとんどです。だから私たちの生活を豊かにする「ため」に現代アートが存在していると考えるのは私たちのおごりであり、都合の良い考え方だとも言えます。しかし一方で、そうやって表現されたものに対して私たちがどのように向き合うのかは、私たち自身が決めることができます。

 これまで信じて疑わなかったことに対して少しアプローチを変えてみる。嫌だと思っていた出来事や人に対して違う角度から見てみる。自分がわかっていると思い込んでいることについて、本当にわかっているのかと問い直してみる。何か出来事が起こったときにすぐに判断せず冷静に観察して、それはなぜなのかと理由を考えてみる。常識だとされていることは正しいのかと疑ったり、実際に自分から能動的に関わって確かめてみたりする。タブーだとされていることを一度見つめてみたり、自分のアイデンティティーと向き合ってみたりする。言葉や思考にだまされず、身体や生理現象にもこだわらず、感情や心にもとらわれず、柔軟に物事を見つめてみる。現代アートと向き合うことで、こうした態度をトレーニングすることができれば、私たちの世界の見方は変わり、生活はより自由で豊かなものになるかもしれません。

 私たちは自由に物事を見ているようで、何かの固定観念にすぐに取りつかれてしまいます。現代アートの見方を知って、美術館で作品に対して柔軟なモノの見方ができたとしても、一歩外に出るとまたすぐに自分の見方は固定化してしまうのです。美術館や展示はあくまでレッスンの場であり、本番は日常生活の中にあります。作品を見ているときのように日常の風景を眺め直すことができれば、私たちはアートの中に囲まれて暮らしていることに気付くでしょう。

 現代アートの鑑賞を通じてモノの見方を培うことで、私たち一人一人が寛容に出来事を受け止め、創造的に世界を眺め、聡明に真理を見抜く態度を持つことが、社会が文化的に成熟することにつながるのではないでしょうか。

 (おわり)

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