本連載の第3回で、学校は格差を再生産(=温存)する装置であるという、文化的再生産論の話をしました。これを踏まえると、学力格差を維持・拡大するような学校文化を問い直していくことが重要になってきます。その一つの手だてとして、前回は「学び直し」をキーワードに、学校教育において格差を食い止めるためのポイントを検討しました。
しかし、「学校=格差を再生産する装置」としてのみ捉えるのは問題です。学校が学力格差の拡大を促進している側面があるとしても、同時に縮小する側面(例えば、低学力の子どもを優先的にサポートするなど)も有しているからです。
実際、海外の研究には、学校は格差を維持・拡大するのではなく、むしろ縮小することに貢献しているというエビデンスがあります。具体的に言えば、「学力格差がより速く拡大するのは、学校がある時期よりも、夏休みの時期である」ということが明らかにされているのです。「学校がなかったら、学力格差はもっと拡大していたはずだが、学校があるおかげで格差の拡大が食い止められている」というわけです。
日本でこのような研究はまだないので、海外の研究事例が日本の文脈にも当てはまるかどうかは分かりません。しかし、コロナ禍の一斉休校の時期に、「学力格差が拡大しているのではないか」という議論が巻き起こったことを鑑みれば、「学校のおかげで学力格差の拡大が食い止められている」という考えが、そこまで奇抜なものではないことが分かるでしょう。
もちろん、より良い学校をつくっていくためにも、現状の問題を批判的に検討していくことは不可欠です。その際、文化的再生産論の視点から、学校の問題点を明らかにしていくことは有益でしょう。しかしながら、その作業に終始し、「学校が格差を縮小している」という側面が見逃がされれば、学校で働く教師たちの「頑張り」も見逃されてしまいます。問題の本質を見ないまま、学校をスケープゴートにしてはなりません。
「現状でもすでに、学校は格差の縮小に貢献している」ということを理解すれば、「格差を拡大する要因は学校以外のところにあるのでは」という問いに意識を向けることもできます。実際、学力格差を解消するためには、学校制度や教師の労働環境を改善していくことに加えて、子どもの貧困や所得格差を解消するための社会保障制度をはじめ、より広い社会制度や社会構造の問題に目を向けることが重要だと思われます。
学力格差は、「教育」問題であると同時に「社会」問題であるということ、すなわち問題解決の責任を学校や教師のみに帰せてはならないということを、議論の出発点にしなければなりません。