宝塚大学専任講師
いよいよこの連載も最後となりました。これまで学力格差をテーマに論じてきましたが、「学力とは何か」という根本的な問いには触れてきませんでした。この問いはあまりに根本的であるため、短い文章でまとめることは不可能ですが、連載を締めくくるテーマとして考えてみたいと思います。
前回は、「何のために学力調査をするのか」をテーマに取り上げました。学力調査の「コスト」に十分に留意した上で、学力格差を克服するために、適切な調査設計の下、学力格差に関するデータを収集・分析すべきというのが結論でした。それら前回の内容も含め、本連載全体を通して、議論の前提にあるのは「学力格差は縮小すべきだ」という信念です。
本連載ではこれまで、「学力格差をいかにして克服することができるか」という問題意識の下、学力格差の実態はどうなっているのか、格差はなぜ生まれるのか、格差を食い止めるために学校は何ができるのか(できないのか)といった話をしてきました。
本連載の第3回で、学校は格差を再生産(=温存)する装置であるという、文化的再生産論の話をしました。これを踏まえると、学力格差を維持・拡大するような学校文化を問い直していくことが重要になってきます。その一つの手だてとして、前回は「学び直し」をキーワードに、学校教育において格差を食い止めるためのポイントを検討しました。
本連載ではこれまで、学力格差が拡大するメカニズムをマタイ効果(有利・不利が累積し、好循環・悪循環が生まれるメカニズム)という概念を使って見てきました。さらに、学習面での悪循環のプロセスは、不利な家庭環境にある低SES(社会経済的背景)層の子どもたちに降りかかりやすいことも確認してきました。
前回は、学力格差が生まれるメカニズムとして、「マタイ効果」という言葉を紹介しました。これは「有利な人はますます有利に、不利な人はますます不利に」という好循環・悪循環のプロセスが、初期段階の小さな格差を、時間の経過とともに大きな格差に拡大・増幅させる現象を指す概念です。
前回は、学力格差が生まれるメカニズムを文化的再生産論という理論に基づいて検討しました。しかし、学力格差の原因を家庭の経済資本や文化資本の差のみに求めるのは問題かもしれません。複雑な社会事象を捉えるためには、いろいろな観点からそのメカニズムを明らかにしていく必要があるからです。
前回は、SES(社会経済的背景)による学力格差は学年段階が上がっても縮小することはなく、維持されたままであるということを見ていきました。それでは、なぜこのような現象が生まれるのでしょうか。
本連載の第1回で、「生まれ」(社会経済的背景:SES)や「属性」(性別やエスニシティ)によって学力に違いが見られることを「学力格差」と呼ぶことを確認しました。今回は、学力格差の実態について見ていきたいと思います。
現代の日本社会には、さまざまな格差の問題があります。例えば、所得格差や医療格差、地域格差、情報格差など、さまざまなものが挙げられるでしょう。その中に「学力格差」と呼ばれる問題があります。これは何を意味する言葉でしょうか。
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