いよいよこの連載も最後となりました。これまで学力格差をテーマに論じてきましたが、「学力とは何か」という根本的な問いには触れてきませんでした。この問いはあまりに根本的であるため、短い文章でまとめることは不可能ですが、連載を締めくくるテーマとして考えてみたいと思います。
まず一つ言えるのは、実態把握や原因探求といった視点を重視するのであれば、「どのような学力を身に付けるべきか」という問いには深入りせず、「学力=ペーパーテストで測定される点数」として、学力を形式的に定義することも有効だということです。「計測できる学力」のみが重要でないのは言うまでもありませんが、「現状を正しく把握する」という文化を教育に根付かせるためにも、「計測できる学力」の重要性は強調したいところです。
一方で、「どのような学力を身に付けるべきか」という問いが軽視されれば、学力格差の研究は形骸化してしまいます。「計測できる学力」に焦点を当てることが能力の一元化を招き、過度な競争主義・能力主義を強化してしまう危険性もあるでしょう。
そこで学力を、「わかること/できること」はよいことだという従来的な捉え方とは距離を置き、「わからないこと/できないこと」に価値を見いだすという学力観を提案してみたいと思います。どういうことかというと、「わからない/できない」状況をすぐに解消しようとするのではなく、「わからない/できない」状況をキープしたまま、そうした経験に向き合うことそれ自体に価値を見いだすということです。こうした能力観は近年、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉で注目を集めています。
確かに、問題を素早く、適切に解決できる能力は重要です。しかし、私たちの住むこの社会では、重要な問題ほどすぐに答えは出てきません。であるならば、「未知なもの(=異質なもの、理解できないもの、自分とは違うもの)」を非難するでもなく、そこから逃避するでもなく、「未知なもの」にじっくりと向き合う契機を与えることを通して、「わからない」に伴う葛藤を引き受けることを可能にするような力を育成することも、学校教育の大切な役割だとは言えないでしょうか。このような能力観を踏まえながら、既存の学力観をアップデートしていきたいところです。
以上で連載は終わりになります。もし、私の研究内容に関心を持っていただけたのであれば、拙著『学力格差の拡大メカニズム――格差是正に向けた教育実践のために』(勁草書房、2023年)をお手に取っていただけると幸いです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
(おわり)