杉原千畝の物語は、道徳や国語、社会科教科書で取り上げられており、多くの人に知られている。諸事情で国を追われたユダヤ人やいろいろな人々に、ビザを発給し続けた外交官・杉原千畝の実話である。
第二次世界大戦が始まった頃、リトアニアの都市・カウナスの日本領事館にはポーランドから逃げてきたユダヤ人たちがビザ(査証)の発給を願って押し寄せてきていた。ナチスドイツがポーランドを併合しようと占領政策を実行したことで、ポーランドにいたユダヤ人が隣国のリトアニアに逃げ、ソ連経由で日本やアメリカなどに渡ろうとし、そのためのビザを必要としていたのだった。
当時の日本の外務省は、ビザの発給には渡航国の入国許可証が必要だとしていた。杉原はこれを拡大解釈し、渡航前に入国許可証を持っていなくとも、日本に到着するときにはもらえる予定だとしてビザを発給した。
こうして多くのユダヤ人がシベリア経由で敦賀港などに到着し、神戸や横浜からアメリカなどに逃げようとした。この逃亡を保証するものが、日本国のビザであった。このビザはアメリカなどに渡ろうとする人々にとって「命」に当たるものだったことから、「命のビザ」と呼ばれた。
杉原のビザ発給は、外務省の指示を拡大解釈したものである。しかし、人の命を救うこと、誰もが生きる権利を持ち、それを保障することこそ、人の成すべきことであるという杉原の信条を読み取ることができる。
杉原を描いた国語や社会科の教材は、このような彼の行為をどのように考え、判断するのかを子どもたちに考えさせ、人としての生き方を考察させるものである。当時のヨーロッパや世界事情、日本の立場や政治状況を知った上で杉原の心情や判断を知り、その意義を見極め、自らも判断することができる。
当時の外務省は、ユダヤ人などの避難民が日本に渡ってくることを認めていなかった。しかし、経由することは認めていた。つまり、経由のためのビザの発給は許可していたのだ。杉原はこの方針を拡大解釈し、渡航前は持っていなくても、いずれはアメリカなどの入国許可を得るので、発給することができると判断した。すなわち、人の願いを実現するために、当時の日独(伊)の同盟体制を逆利用したのである。戦時期における平和の実行には、体制の逆利用もあることを杉原千畝の物語は示してくれている。