今回は「家でも学校でもない第三の居場所」というテーマで、LFAが運営する地域の居場所について事例を紹介したい。
LFAの地域の居場所はおおむね小学生と中高生に分けて拠点をつくり、週3~5回、14~20時まで開室している。そこに来ている子どもたちは、教師・SSW(スクールソーシャルワーカー)や行政の職員の紹介を受けてその存在を知り、通い始めることが多い。子どもたちがありのままで受容され、安心安全な空間の中で自分らしく過ごせる場所を目指している。居場所の大前提は、ありのままのその子で「居る」こと自体が肯定される場所であり、大人が与えた活動目的を持って過ごす場所ではない。子どもの自由や権利が保障される場所であると考えている。
その大前提の上で、子どものニーズはさまざまであるため、われわれも多様なニーズに合わせた包括的な支援を提供している。例えば、家庭がネグレクト状態で、ご飯が食べられなかったり歯磨きの習慣がなかったりする小学生には毎日夕食を提供し、その後に一緒に歯磨きをするなど、最低限の生活基盤を支える活動をしている。
また、家では学習環境が整っておらず学校の宿題が進まない子どもには、居場所で過ごす時間の中で学習時間を確保し、子どもたちの家庭学習時間を担保している。他にも、外国にルーツがあり、保護者が学校から届いた日本語の手紙を読めないようなケースでは、われわれが英語などを使ってその内容を説明したりもする。このように、LFAの居場所では子どもや家庭の状況に応じて、できる範囲で個別のニーズにも対応するようにしている。
では、このような「家でも学校でもない第三の居場所」はなぜ必要なのだろうか。本連載の第1回でも言及したが、「子どもの貧困」という問題は単なる経済困窮にとどまらず、虐待・不登校・発達障害などさまざまな困難因子が複雑に絡み合った問題である。虐待を受けて家では安心して過ごせない子どももいれば、いじめや不登校などの理由で学校に通いづらくなっている子どもも多い。そうした子どもたちにとって、ありのままの自分で過ごせる居場所は地域に少ない。そして、そうしたときにこそ「家でも学校でもない第三の居場所」が地域に存在することの意義が見えてくる。
安心安全に過ごせる場があること、そうした場における他者との関係性の中で十全に育ち学ぶ機会を得ること、これらは生まれながらに保障された子どもの権利なのである。