プロ野球の世界で指導者として長く貢献した中西太氏が90歳で亡くなった。高松第一高校時代に甲子園で活躍し「怪童」と呼ばれた。旧西鉄ライオンズに入団し新人王。翌年は本塁打王。引退までに首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回。生涯打率3割7里。義父となった三原脩監督の下で1956年から3年連続で巨人を破り日本一。巨人ファンだった当時悔しい思いをしたことを思い出す。
中西さんの真骨頂は指導者としての姿だ。打撃技術の伝道者となり、招請された各チームで、岡田彰布(現阪神監督)をはじめ、田口壮、若松勉、高橋由伸らを導いた。
1㍍70㌢余りの身体だが、長くて重いバットでボールを引き付け、全身の力を使って鋭く素早く回転して打ち返すバッティング技術は今も受け継がれている。「何苦楚(なにくそ)」の言葉を残している。「何事も苦しむことが基礎になる」の意。これも若い選手につなげてほしい。
女子卓球界をけん引してきた石川佳純選手が現役引退した。オリンピック3大会の連続メダル獲得をはじめ、卓球界のトップを走り続けてきた。台頭する後輩たちとの戦いぶりもファンを引き付けた。30歳での現役引退は早いのではと思った。「長い間、世界の舞台で戦えたことは自分の誇り。卓球に必死で夢中になった23年間だった」と述懐する。
報道で映された笑顔が晴れやかだった。お疲れさまでした。今後については「卓球という素晴らしいスポーツに恩返しできたら」と語る。全国の卓球少年少女があなたの指導を待っている。子供たちの夢を育んでほしい。