北欧の教育最前線 フィンランドにおける「継承語教育」

移民政策に消極的と言われてきたフィンランドにおいても、2010年代から移民の数が急速に増え、2019年には総人口に対する外国人の割合が7.7%に上った(同年の日本は2.3%)。それに伴い、公用語であるフィンランド語、スウェーデン語、サーミ語を母語としない子供も増えている。家庭内で話される外国語の母語は「継承語(ヘリテージランゲージ)」と呼ばれる。移民に対して現地語の教育を行っている国は多いが、フィンランドでは、それに加えて継承語の教育も提供している。

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言語と文化の継承のために
継承語クラスは公立学校の放課後の空き教室を使って行われる

リサちゃん(8歳)は両親がハンガリー人で、家庭内ではハンガリー語を使用して生活している。小学校に入り現地語であるフィンランド語での授業が始まって以降、ハンガリー語の文法的な間違いや会話でのつまずきが多くなってきた。

移民の背景を持つ子供たちは、学校に入学すると現地語(フィンランド語)の影響が強くなり、継承語としての母語習得が不完全になったり、その学習自体をやめたりしてしまうという問題を抱えがちである。そこで、継承語学習を支援するため、フィンランドの自治体は外国語話者の子供に対する補助教育についての法律に基づいて、継承語学習クラスを提供している。

基礎学校(日本の小中学校に相当)では、同じ言語を話す子供が4人以上集まれば、継承語クラスが開講される(フィンランド語手話、サーミの地方言語群、ロマ言語群の場合は2人以上)。ユヴァスキュラ市では、25種類の言語の継承語クラスが設置されており、約600人の子供が受講している(2020年)。

就学前児童(6歳児)も継承語クラスの対象となっている

アラビア語、中国語、英語、日本語など多岐に渡り、週1回、2時間の授業が平日の夕方に設定されている。参加は任意で、無料で受けられる。授業は、読む、書く、話す、聞くという言語の4技能だけではなく、その国の歴史や文化も学べるように構成されている。

言葉を学ぶことは、アイデンティティー形成や思考様式に大きく影響する。例えば、フィンランド語では上下関係を表す言葉や文法はそれほど強調されない。「彼」「彼女」を表す言葉は「ハァン」という一つの単語で表され、男女の区別が無い。

また、日常会話では敬称を使用せず、名前のみで呼び合う。日本人からすると「さん」や「様」を付けたくなるところだが、フィンランドでは社会的地位の高い人であっても名前のみで呼び合うのが普通である。言語の背後にあるこのような価値観は、文法や単語を勉強するだけでは理解が難しい。継承語教育はこうした文化や価値観の学習にも役割も果たしている。

現地政府と自治体が提供

フィンランドの継承語クラスで注目したいのは、その運営主体である。フィンランド国内の継承語クラスは、フィンランド政府と自治体が提供している。例えば、日本にルーツを持つ子供への継承語教育を考えた場合、日本人学校や日本語補習校で開催され、日本政府や現地の日本人有志が運営主体となる形態も想定できるが、フィンランドにはヘルシンキにしか日本語補習校がないため、それ以外の都市に住んでいる子供は継承語教育を受けられないことになる。フィンランドでは、現地の政府と自治体が運営していることから、補習校や日本からの支援に関係なく継承語教育を受けられる。

背景には同化主義を否定する考え方がある。支配的な文化や言語を受け入れさせるのではなく、少数者の文化や言語を尊重し、同等の権利を認める複言語・複文化主義の現れとして、継承語クラスを捉えることができる。

日本語クラスは異学年混合の良さを生かし、共同でのワークなどを多く取り入れている
さまざまな課題を乗り越えて

継承語クラスにも課題は多い。ユヴァスキュラ市の継承語クラスは経済不況のあおりを受け、2020年に廃止の危機にさらされた。市の経済調整プログラム計画に継承語クラスの廃止案が含まれていたのである。これに対して、継承語クラスの教師や市の担当者らが中心となって署名活動を行った。結果として、排他主義的な教育は認めないという議事提案に基づき、継承語クラスは廃止を免れた。

教師の目線から見た課題も少なく無い。例えば、就業時間の問題、異学年混合での一斉授業の難しさ、指導者養成・研修の不足、雇用条件の不安定さ、教材入手の難しさなどが挙げられる。サービスのレベルも自治体間で統一されているわけではない。

これらの問題を乗り越えるために、フィンランド各地の継承語クラスを受け持つ教師が母語継承語教師協会という全国団体を組織し、授業のアイデアをシェアしたり、問題点を話し合ったりと、活発な情報交換を行っている。

多くの課題を抱えながらも、フィンランドでは複言語・複文化主義を実現しようとしている。継承語教育への取り組みはその現れの一つであり、移民が年々増えつつある日本においても、行政の在り方として学ぶべき面は多い。

(矢田匠=やだ・たくみ フィンランド国立教育研究所、ポスドクリサーチャー。専門は教育リーダーシップ論
山本みゆ紀=やまもと・みゆき ユヴァスキュラ市教育サービス課言語文化教育母語・継承語教員。専門は英語英文学、言語学)

 


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