新採教員を迎える学校 心理的安全性の確保が必要(喜名朝博)

新採教員を迎える学校 心理的安全性の確保が必要(喜名朝博)
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学び続ける力を確立する初任校

 教員採用試験の低倍率化が続いている。一般に採用試験と言われることが多いが、正しくは「選考」である。特定の職に就くための適格性の有無を判断するという意味で、競争試験と異なる。教員採用選考に合格すると、教員としての適格性があると判断されたことになるが、低倍率にあってその基準は大きく下がっている。厳格に適格性を判断すれば、定員を割ってしまうというのが、低倍率化による教員の質の低下の構図である。

 自動車の運転免許を持てば、公道での運転が許される。同様に、教員免許を持てば一人で授業することが可能となる。しかし、どちらも取得したからといってすぐに上手な運転、上手な授業ができるわけではない。実際に運転すること、授業することによってうまくなっていく。運転技術は技術革新によって補完されるようになったが、教員は自らの努力で技術を高めていくしかない。それが、教育公務員特例法に示された研究と修養の義務である。

 教員として学び続けるための力を確かなものとし、教員としての生き方を身につけていくのが、新規採用の学校、初任校ということになる。

新採教員がいきなり教壇に立つという特殊性

 山形県教委はこの4月から、新規採用教員は単独で担任を持たせないという施策を発表した(「新採教員は単独で担任持たず 山形県教委、来年度から小学校で」本紙電子版2月20日付)。この取り組みが全国に波及することを期待したいが、ほとんどの小学校の新採教員は、学級担任として子どもたちの前に立つ。他の職では考えられない、かなり特殊な仕事の仕方である。

 学級経営と学習指導を一体的に充実させることや、子どもたちと共に自らも教員として成長していくことは担任の醍醐味でもある。しかし、教育実習では見えなかった学校や教員の現実に直面し、精神的余裕がなくなっていくのは確かだ。子どもたちや保護者の変化、進まない学校における働き方改革などの学校の現実は、先輩教員はもとより、新採教員にとっても厳しい環境である。

 これまでは公務員でも民間企業でも、就職するということは定年までその組織に所属することだった。しかし、外資系企業が増えたことも影響しているのか、転職へのハードルは今やかなり低い。教職についても、教員になることが唯一の選択ではなく、たくさんある選択肢のひとつになっている。そんなマインドが、離職への抵抗を小さくしている。

 それでも、採用され、教員として子どもたちの前に立つからには、よりよい教員を目指して研鑽(けんさん)することが求められる。新採も含めた若手教員の育成は、このマインドの変化を前提にする必要がある。

「分からない・できない」と言えない初任者

 組織を挙げて新採教員を育てていこうとする学校の空気は脈々と受け継がれている。誰もが「先輩の動きをよく見るといい」「最初は何でも聞いてね」と言ってくれる。しかし、先輩教員の何を見ればいいのか、何を聞けばいいのか、いつ聞けばいいのかが分からないというのが、昨今の新採教員の現実である。

 教員として一人前に扱われることで、分からないことも「分からない」と言えず、質問したくても「教えてほしい」と言えない。同僚教員も常に忙しくしており、そのタイミングを計ることができないでいる。そんな心理も斟酌(しんしゃく)しなければならない状況だ。

 我々は「教員なら当然」という思いや期待をもって接しているが、前述のとおり、教員なら当然という基準は、考えている以上に下がっている。一方で、仕事であること、給料をもらっていることの厳しさも伝えていかなくてはならない。

心理的安全性確保とウェルビーイング

 組織行動学者のエイミー・エドモンドソンが提唱した「心理的安全性」は、組織運営の基本となっている。誰に対しても自分の気持ちや考えを安心して発信できる組織、とりわけ新採教員にとっては、弱みを見せられる同僚がいるという組織にしていくことが大切だ。

 先頃示された次期教育振興基本計画でも、教員のウェルビーイングのため、職場の心理的安全性の確保を求めている。心理的安全性は学校組織にとって新しい概念だが、新規採用教員を迎える学校では、その教員のウェルビーイングという視点で、学校の心理的安全性を確保する仕組みを作っていったらどうだろうか。

 新採教員が安心して教師の学びをスタートできる学校は、全ての教職員にとっても働きやすい学校になっているはずだ。組織行動学の知見では、働き方改革の土台には心理的安全性が必要だとする。まず、新採教員が話しやすい雰囲気を醸成することから始めていきたい。

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