本紙電子版2月15日付で報じられているように、同日、日本教育大学協会のシンポジウムで、今後の教員養成や教員養成系大学・大学院の役割が議論された。元文部科学副大臣の鈴木寛氏が「教員の原則修士化」を提起し、文部科学省の後藤教至・教育人材政策課長も「教員の修士化は、本気で今必要なことだと考えている」と応じたという。今回は、この「教員の修士化」について、検討してみたい。
かつて、中教審では教員養成の「修士レベル化」が議論され、2012年に「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(答申)」としてまとめられている。この答申では、「教員養成を修士レベル化し、教員を高度専門職業人として明確に位置付ける」ことがうたわれ、教員免許制度も学部4年に加え修士レベルの課程での1年から2年程度の学修を条件に「一般免許状(仮称)」を授与する方針が示されている。この答申でも、欧米諸国では修士号以上の学位取得者が「社会のマネジメント層の相当部分を占める状況」となっていると言われているように、諸外国の動向も踏まえてこうした提案がなされた。
だが、その後、「修士レベル化」の議論はトーンダウンする。3年後の15年の中教審「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~ (答申)」では、「修士レベル化」の表現は消え、「拡充期を迎えた教職大学院の在り方」などが述べられるにとどまる。
「修士レベル化」で重要な役割を担うと考えられていたはずの教職大学院の、その後の状況はどうか。図のように、教職大学院の入学者は漸増を続けているが、定員未充足も目立つ。
現在、毎年3~4万人の教員が採用されており、新規採用者に見合うようにするだけでも教職大学院入学者を十数倍に増やす必要がある。「修士レベル化」の議論がトーンダウンしたのも無理はない。
では、鈴木氏や後藤課長が言うように、あらためて「教員の修士化」を進めるにはどうすればよいだろうか。それは、修士レベルを修了した教員の待遇を、修了者にふさわしいものにすることに尽きるのではないか。
現状では、教員志望者が時間と費用をかけて大学院に進んでも、学校での待遇はほぼ変わらない。現職教員は、教育委員会から派遣してもらえれば時間は確保できるが、学費がきついという話が聞こえてくる。大学院を経ることで大幅な待遇改善がなければ、教職大学院入学者を飛躍的に増やすことは難しい。例えば、修士レベル修了者については給与を明確に(例えば10%程度)上げるとともに、管理職や教務主任、研究主任などについては修士レベルを条件とする方向に移行していくことが検討されるべきだろう。そうした制度設計ができれば、大学院進学者は大幅に増えるはずである。
もちろん、そのためにも、教員全体の待遇改善が急務である。現在、中教審で検討されているが、教員が勤務時間と業務内容に見合った待遇を保証されるようにならなければ、「修士レベル化」には着手することすら困難だ。
鈴木氏は本紙オピニオン欄で「教員養成を担う人たちから教育改革の議論が出てこない」とも言っている。確かに私たちは、うまく議論を起こすことには成功していないかもしれない。だが、私は、学校現場に関わり続ける教員養成系大学教員として、学級規模の見直し、教員の抜本的な負担軽減、給特法の廃止、教員の非正規依存、新採教員への支援、国がすぐにできる教員の業務削減策といったことについて問題提起を重ねてきた。こうしたレベルの検討こそが、教育改革につながるのではないだろうか。