「実は私、中学生の時にいじめられて、学校に行けなくなったことがあったんです。ミカも幼稚園の時によく泣かされていて、だからもし不登校になったらどうしようかと心配で…。私なんかが母親だから」
ニシダさんの母親はキタノ先生をじっと見つめました。キタノ先生は何も言えず、すっかり固まってしまいました。
この日、キタノ先生はミナミ先生同席のもと、ニシダさんの母親と面談を行っていました。
子どもの抱える課題について家庭と協力して一緒に考えたいと教員が保護者に相談したつもりが、保護者が激怒したり反対にひどく落ち込んだり、あるいはなかなかその課題を認められなかったりして、教員側の思いが保護者にうまく伝わらないことがあります。保護者対応で強いストレスを感じる原因のほとんどが、「コミュニケーションを取りづらい」というものです。
第2回で、気になる保護者として挙げた3つのタイプに共通する「コミュニケーションの難しさ」の根底にあるのが、自己肯定感の低さや自我の弱さや未熟さ(自他の境界の曖昧さにつながる)です。言うまでもなく、保護者と子どもは別の存在なのですが、保護者の中にはわが子について語られた内容が、自分自身のこととして置き換わってしまう人がいます。その多くが自分自身のこれまでの経験に起因しており、子ども時代の取り残された思い=「内なる子ども」が影響しています。
例えばニシダさんの母親の場合、自分自身の体験から娘に自分の「内なる子ども」を投影してしまい、実際の状況とは関係なく、娘の友人関係に大きな不安を抱いています。
それではどうしたらよいのでしょうか。鍵はその子どもへの私たちの温かなまなざしを最初に伝えることです。そのまなざしはそのまま保護者へのまなざしとして伝わり、信頼関係の基盤となります。
それまで黙って聴いていたミナミ先生が口を開きました。「ミカさんは本当に穏やかで優しいお子さんですよね。きっとお母さまに大切に育てられてきたからですね」
キタノ先生も続けます。
「ミカさんはいつもお友達と楽しそうにおしゃべりしたり絵を描いたりしていますよ」
「ミカさんがお母さまのようにつらい思いをしないように、われわれ教員も大切に見ていきますね」
ミナミ先生がそう伝えると、ニシダさんの母親は静かに頭を下げました。
その後も時々母の思いがつづられた連絡帳は来ましたが、以前のようにキタノ先生が振り回されることはなくなりました。
参考文献
柳瀬洋美(2022)『気になる保護者の理解のために「内なる子ども」との対話を通して』ジアース教育新社