東京家政学院大学准教授(公認心理師・臨床心理士)
「ソライさん、放課後ちょっと残って先生のお手伝いしてくれる?」 「えっ、最悪なんですけど」 ハルタ先生に指名されたソライさんは、不満げな声を上げましたが、それでも放課後、教科準備室にやって来ました。ハルタ先生は自分の担当教科の準備をしながら、話し掛けました。
「私、結婚して初めて日本に来た。子どもが生まれて、日本語分からなくて、毎日寂しくて苦しかった。同じ国の人、周りにいない。いつも泣いていた」とCさん。今では成長したわが子が通訳もしてくれるようになり、生活に不自由はなくなったそうですが、心の深い部分を母国語で話す相手がいないのがつらいと言います。
「うちの子を説得するのが先生の仕事でしょう?もっとしっかりしてください」 「息子のことを一番分かっているのは親の私です。先生はわが子じゃないから、そんな無責任なことが言えるんですよ」 そうたたきつけるように言うと、男性は教室を出て行きました。
「申し訳ございません。はい、うちの子が悪いんです。弁償させていただきます」 受話器の向こうから聞こえてくるのはAIよりも無機質で感情のこもっていない声。そして、唐突に電話は切れました。B中学2年C組担任のハルタ先生は受話器を握ったまま、しばしぼうぜんとしていました。
「私たちは見捨てられたんです」とAさん。Aさんは担任から「毎日の連絡は負担だろうから出席できるときだけ連絡をください」と言われ、その後は学校から何の連絡もないまま年度が終わり、新年度のクラス替えの連絡が来たのが始業式の1週間後だったそうです。
「そういえば、キタノ先生のクラスのアズマさん、1年生の3学期からまだ一度も登校できていませんね」 2年1組担任のキタノ先生は、学年主任のミナミ先生にそう話し掛けられました。 「そうなんです。こういうときって、どこまで声を掛けたらいいんでしょう?」 キタノ先生は眉を八の字にしました。
「実は私、中学生の時にいじめられて、学校に行けなくなったことがあったんです。ミカも幼稚園の時によく泣かされていて、だからもし不登校になったらどうしようかと心配で…。私なんかが母親だから」
「それじゃあまず、連絡帳を見せてもらっていい?」 ミナミ先生にそう言われ、キタノ先生は連絡帳を見せました。連絡帳には、ニシダさんの母親の字でヒガシさんについてのエピソードがびっしりと書き込まれており、毎回キタノ先生の意見や感想を求める文で締めくくられています。それに対し、キタノ先生は一つ一つ丁寧に自分なりの見解やコメントを返しています。
「ニシダさんのお母さん、最初はとても協力的だったんです。でも、2学期になって席替えをしてから、それが気に入らなかったらしくて」 キタノ先生の話によると、ニシダさんの母親は新任教員のキタノ先生に対し、着任当初は「頑張ってくださいね」と誰よりも積極的に応援してくれていたのだそうです。
「はぁ~どうしよう」 その日、キタノ先生は何度目かのため息をつきました。キタノ先生はこの春A小学校に赴任してきたばかりの新任教員で、2年1組の担任です。少々不器用でまだまだ頼りないところはありますが、いつも一生懸命な彼は子どもたちにも慕われていました。
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