最終回では、不登校の当事者やその子と一番身近に向き合っておられる大人の方に一言申し上げておきたい。
「不登校というだけで問題と見なさない」という見方が広がりつつある今、当事者の子どもたちには「自分は駄目な人間だ」とか「自分は生きている意味がない」なんて考えないでほしい。死ぬほどつらい気持ちを抱えてまで学校に行くことはないし、「あの学校には行けない」ということを、ぜひ勇気を出して周りの大人に伝えてほしい。もちろん、そういうことを話すのは、とても大変で苦しいことであるのは十分に分かっている。でも、「学校に行くことがつらい」という思いを打ち明けることができれば、それを受け止めてくれる大人もきっといるはずである。
一方、子どもが命懸けで思いを打ち明けるとき、大人たちはその気持ちをしっかりと受け止めていただきたい。理由を追求しようと問いただしたり、学校に行くことの必要性を諭したりするのではなく、まずは最後まで子どもの言葉を受け止めていただきたい。解決しようと焦らず、思いを聴いて受け止めるだけでも、救われる子どもは大勢いる。
他方、不登校の子どもたちの中には、「(自分にとって楽しい学校であるなら)本当は学校に行きたい」と思っている子どももいるのではないだろうか。ただ、「学校に行きたい」と言おうものなら、登校への期待やプレッシャーが強まるかもしれないし、「今のままだと無理だよ」などと、気持ちを否定されるような言葉が返ってくることもあり得る。そういう事態を想像し、言う前から諦め、悶々と黙るしかないと言葉を飲み込んでしまう子どもたちもいるだろう。
しかし、少し勇気を出して「たとえ自信がなくても、たとえ今ではなくても、学校に行きたい」と言葉で伝えることができれば、道が開けることもある。昨今は不登校の子どもたち向けに設けられた学びの多様化学校やさまざまなコースを備えた通信制高校など、新しいタイプの学校もできつつある。地域の教育支援センターやフリースクール、夜間中学など、学校に替わる新たな居場所も探せばきっと見つかるはずである。
周りを見回せば、「行きたい」気持ちをそっと応援してくれる大人はきっといる。自分の気持ちにふたをしてしまうのでなく、「行くのがつらい」「行けるものなら行きたい」と思う自分と向き合うことも大切ではないかと思っている。(おわり)