「私たちは見捨てられたんです」とAさん。Aさんは担任から「毎日の連絡は負担だろうから出席できるときだけ連絡をください」と言われ、その後は学校から何の連絡もないまま年度が終わり、新年度のクラス替えの連絡が来たのが始業式の1週間後だったそうです。
また、Bさんは「久しぶりに学校から電話が来たと思ったら、どうしてもうちの子に会いたいと言われたので、『部屋から出てこないかもしれない』と伝えたら、『安否確認のためにどうしても会わせてほしい』と言われた」と憤慨しています。「安否確認」と言われ、犯罪者扱いされたように感じたそうです。
もちろん、学校は見捨てるつもりも犯罪者扱いをするつもりもありません。Aさんについては、連絡することがかえって負担にならないかと担任は悩んだでしょう。また、Bさんについても、不登校の陰に虐待が潜んでいるケースがあることから、本人の様子を直接確認する必要があるため、つい「安否確認」という言葉を使ってしまったのだと思います。もし、「会えなくてもいいので一度伺いたい」と伝えていたら、Bさんの気持ちも違っていたことでしょう。
不登校児童生徒の保護者の多くは、見通しが立たない中で、不安と孤立感を抱えています。ある意味、子どもよりもつらく苦しい思いを抱えているかもしれません。わが子と同年代の子どもの姿を見ることや同級生の保護者に声を掛けられることがつらく、保護者自身が家に引きこもりがちになってしまうことも少なくありません。
不登校の支援の在り方は多様で、時には他機関との連携も必要です。ただ、学校だからこそ大きな意味を持つ支援もあります。それは「つながり続けること」、そして「日常を支えること」です。「不登校であること」に毎回焦点を当てる必要はありません。「今週は暖かかったですね。学校ではこんなことがありましたよ」などと子どもを大切に思っていること、学校に居場所があることを伝え続けることが、保護者への支援となります。
「私が学校に行ったらママが一人になっちゃうの」
キタノ先生と会ったアズマさんは、不安そうにそう話しました。離婚を巡る夫婦間のいさかいの最中、アズマさんの母親は毎日のように娘を抱きしめて泣いていたそうです。アズマさんにとって、不登校であることは母の心を守ることだったのです。
いじめなど早急な対応を要するものもありますが、当事者と家族にとって不登校であることの意味をじっくりと考えることもまた、支援の大切な手掛かりとなるでしょう。