「申し訳ございません。はい、うちの子が悪いんです。弁償させていただきます」
受話器の向こうから聞こえてくるのはAIよりも無機質で感情のこもっていない声。そして、唐突に電話は切れました。B中学2年C組担任のハルタ先生は受話器を握ったまま、しばしぼうぜんとしていました。
「どうかしたんですか?」
隣席のナツカワ先生が気遣わしげに尋ねました。
「アキノさんが廊下で暴れて壁に穴を開けてしまったのでおうちに電話をかけたのですが、お母さんが取り付く島もなくて」
「あ、あのお母さんね。私は去年担任でしたが、能面みたいで話しにくい人ですね」
アキノさんは小学生の時にADHDの診断を受けています。ADHDの特性の中でも特に衝動性が高く、他の生徒とトラブルになることも少なくありません。この日のように暴れて、これまでにも窓を割ったりドアを壊したりしたことがあり、その都度、学校から保護者に連絡を入れていました。
「それでアキノさんは?」
「もめた相手と校長室にいるのだけど、どうしてこんなことをしたのか理由を尋ねても『どうせ俺が悪いんだろ!』とふてくされて口を利かないのです」
するとナツカワ先生がこんなことを教えてくれました。
「そういえばアキノさん、よく相談室に遊びに行っているみたいですよ」
そこでハルタ先生はスクールカウンセラー(SC)に相談することにしました。SCは過去にアキノさんが他の生徒とトラブルになった際、母親に相談室に来てもらって話をしていました。その時、終始無表情で淡々としていた母親が一瞬、感情的になったそうです。
「うちの子はADHDと言われたけれど、だからどうだっていうんですか?誰か助けてくれるんですか?私はこの子が小さい頃から毎日謝ってばかりです。でもわが子だから私が育てるしかないじゃないですか」
その話を聴いてハルタ先生ははっとしました。今までアキノさんのことで何かあるたびに母親に伝えてきましたが、アキノさん自身や家族の抱える困難さに焦点を当てて話をしたことはあっただろうか…と。今回の件でも、なぜ壁に穴を開けるほど暴れたのか問いただすばかりで、壁に穴が開くほど蹴飛ばさずにいられなかったアキノさんの気持ちを誰一人尋ねることはしていませんでした。母親は元から能面のようだったわけではなく、感情を押し殺さないと生きてこられなかったのではないかと思ったのです。
相談室には彼が得意とする折り紙の作品が並べられていました。
「アキノさん、こんな才能があったんですね。今度お母さんに聞いてみよう」
ハルタ先生はそうつぶやきました。