対話には3つの段階があります。内省を通して自分に気付きが起こる「自己との対話」、異なる意見の奥にある相手の「願い」に気付き(相互理解)、両者が満たされる第三の道を模索する(共創造)「他者との対話」、組織や社会の課題は自分もその構造の一部であり、当事者意識から変化を起こしていく「社会・世界との対話」です。
出発点は、「自己との対話」です。主体的・対話的で深い学びも対話の前に「主体」があるように、自分がどうしたいのか分からないと、議論も対話もできません。
ある校長研修にて、対話どころか「受容することが難しい出来事」について探究する演習がありました。
若手ながらに一目置き、期待していたK先生に「忙しくてわが子と過ごす時間がなく、このままだと教師を続けられない」と言われて憤慨したH校長。
「教師たるもの、生徒を第一に考えるのが当然!わが子と生徒を同じ次元で考えるなんてけしからん!とショックでした」
「昔の価値観を若手の先生に押し付けてはいけない」「自分が変わらなきゃ」とは分かっているのに怒りが収まらず、頭ごなしに説教してしまったと話してくれました。
そこで、「本当はどんな対応をすればよかったのか」という外側への対処法ではなく、その時H校長の内側に何があったかを内省し、怒りの奥にある「真の願い」をみんなで一緒に探究していきました。
最初に出てきたのは「教師としての尊厳」。でも、怒りの奥にあった残念さには、期待していたK先生を「支えたい」「教師の真の喜び・やりがいを分かち合いたい」という願いがありました。念願の校長になり、長年実践してきた経験を若手の先生たちに伝授したかったのに、押し付けと言われる切なさ。だけど、嘆きの奥にある本来の願いに気付いて、H校長の表情がみるみる晴れやかになっていきました。
「自分が正しいと思っていたけど、K先生が何を大切にしたいのか全く聞けていなかった。そういえば私は、K先生のお子さんの名前すら知らない。K先生が大切にしたいことを一緒に大切に想い、お子さんの成長を一緒に見守っていきたい」
「こうあるべき」という自分の無意識の前提(メンタルモデル)に気付き、自分はどんな「願い」から生きたいのか(自己マスタリー)に自覚的になったH校長は、最後にこう宣言されました。
「校長(自分)が変われば、学校が変わる!自分の願いも相手の願いも受け入れられる組織になるよう、まずは自分が体現していきます」