第5回 「話し合いの場」の4つの土壌(フィールド)

第5回 「話し合いの場」の4つの土壌(フィールド)
【協賛企画】
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 話し合いの場は、土壌と同じです。土が硬ければ種を植えても育ちにくいように、場の関係性の質が高まらないとどんなテーマを扱ったところで対話には向かいません。対話へ向かうプロセスを理解する手掛かりとして、「話し方と聞き方の4つのレベル」というモデルがあります。

 1つ目は「儀礼的な会話」の土壌です。率直な発言は避け、当たり障りがない会話で表面的に調和が取れている状態です。これが悪いわけではなく、ある意味安全ですが、個々がどんな意見を持っているかは見えず、新しいものが生まれる気配はありません。

 2つ目は「討論」です。誰かが本音を話し始めると、反対や異なる意見が現れます。見せかけの全体的な調和から、部分が主張することで意見の対立が起こり、どちらが正しいか評価・判断で結論を出そうとします。多くの場合「場が荒れた」と感じて、安全な「儀礼的な会話」の状態へ戻そうとします。結果的に多数決や主張が強い人の意見が通るか、曖昧なまま場は終わり、「どうせ言ってもしょうがない」と諦め、誰も本音を言わなくなっていきます。

 3つ目は「共感・内省的な対話」です。自分の意見の正しさを説くため外に向けていた意識の矢印を、自分の内側に向けて内省し、感情と願いに自覚的になる自己共感が生まれます。それにより、対立していた相手の願いにも気付いていく他者共感の対話です。ここに視座の転換が起き、深い相互理解が生まれます。手段は対立しますが、願いは理解し合い、共存できます。

 4つ目は「共創造・生成的な対話」です。願いを受け取ってもらえると、自己の正当性を証明する必要がなくなり、自他の境界線を超えた「全体の願い」へと意識が向きます。そこへ意識が向くと、おのずとこれまでにない発想が場から湧き上がり、新たなビジョンや行動が生成されていきます。

 1つ目の「儀礼的な会話」は個(部分)を抑圧して「全体」を優先しますが、2つ目の「討論」と3つ目の「共感・内省的な対話」によって個に光が当たり、命の声が表現され、4つ目の「共創造・生成的な対話」で多様な個(部分)を全て含ませた「真の全体」へと昇華していきます。

 できれば2つ目の対立を避けたいという声をよく聞きます。しかし、どれだけ深く対話できるかは、対立をどれだけ受容できる器があるか(回避ではなく)に比例します。対立は、個々が大切にしたい価値観が表現されたことで起きる、いわば命の輪郭の際立ちです(私には、命が燃えている!と見えて愛おしさが湧いてきます)。自分の正しさを主張すると対立が紛争に発展しますが、対立そのものはお互いを理解する絶好の機会であり、新しい未来への扉なのです。

 対立の炎にとどまり続けた先に、強くてしなやかで真新しい未来が見えてきます。そんな「対立を超えた対話」の事例を次回紹介していきます。

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