新任のB先生が新学期からずっとつらそうなことや教員同士の連携が取れていないことは、他の教員も気が付いていました。しかし、他学年のことに無責任な口出しもできず、見守るしかできなかったのです。そんなところにB先生が本音を話してくれたので、対話の場には「話せてよかったね」という安堵と承認の空気が流れていました。
そこへ、居心地が悪くなったベテランのA先生が声を上げました。
「そんなふうに思っていたなら、そっちから聞いてくれたらいつだって教えてあげるし、助けてあげるのに。言わなきゃ分からないよ!」
対話において「攻撃は悲鳴である」という言葉があります。攻撃行動の奥には、自分の願いが満たされていない嘆きがあることを、葵小の教員は何度も目の当たりにしてきました。
強めの口調でまくし立てるA先生の奥から聴こえる「俺も転任したばかりで不安なんだ。学年主任として成果を出したいけど、対話なんてどうしていいか分からないから俺なりにできることをやっているんだ。俺のことも分かってほしい」という心の声を誰もが感じ取っていました。
そこから教員全員でA先生の「命の声」に耳を傾け、聴こえてきたA先生の願いをダイアログカードから出して共感していきます。その中から、A先生が真っ先に選んだ願いは「つながり」でした。
「A先生も本当はもっとみんなとつながりたいし、理解されたかったのですね。そのために学級運営で自己表現をしていたのですね」
そう伝えると、「そうなんだよう!」と照れながらすごくうれしそうに少年のような表情でA先生はうなずきました。近づき難く頑固で孤立しかけていたA先生の命の声に触れて、みんなの表情が一気に緩み、対話の場には笑顔が溢れていました。
見学していた市教委の首席指導主事が、次のように胸の内を話してくれました。
「感動しました。現在すでに新任の休職者が複数名いらっしゃいます。今日のように安心・安全に対話できる関係性が職場にあることが何より重要なのですね」
この出来事は、教員個人の問題ではなく「新卒でいきなり担任を任され、初任者研修が日々の校務の負荷となり、保護者からは経験年数に関係なく対等に比較・評価される」という学校教育の構造(システム)によって起きています。社会課題は相似形(フラクタル)で、一つの学校で起きていることは、全国の学校で起きています。
個人の声はシステムの声。個人が声を上げることは弱さや愚痴ではなく、構造の中で起きているシステムの問題を全体に分かち合うことであり、それが共創造へとつながっていきます。深い対話の土台を積み重ねた葵小の共創造が、ここから始まっていきます。